・・・その横町の七八間先には印半纏を着た犬殺しが一人、罠を後に隠したまま、一匹の黒犬を狙っているのです。しかも黒犬は何も知らずに、犬殺しの投げてくれたパンか何かを食べているのです。けれども白が驚いたのはそのせいばかりではありません。見知らぬ犬なら・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・大きなかぎ裂きのある印半纏に、三尺をぐるぐるまきつけた、若い女もあった。色のさめた赤毛布を腰のまわりにまいた、鼻の赤いおじいさんもあった。そうしてこれらの人々が皆、黄ばんだ、弾力のない顔を教壇の方へ向けていた。教壇の上では蓄音機が、鼻くたの・・・ 芥川竜之介 「水の三日」
・・・「藤の花とはどうだの、下り藤、上り藤。」と縮んだり伸びたり。 烏賊が枝へ上って、鰭を張った。「印半纏見てくんねえ。……鳶職のもの、鳶職のもの。」 そこで、蛤が貝を開いて、「善光寺様、お開帳。」とこう言うのである。 鉈・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・――処へ、土地ところには聞馴れぬ、すずしい澄んだ女子の声が、男に交って、崖上の岨道から、巌角を、踏んず、縋りつ、桂井とかいてあるでしゅ、印半纏。」「おお、そか、この町の旅籠じゃよ。」「ええ、その番頭めが案内でしゅ。円髷の年増と、その・・・ 泉鏡花 「貝の穴に河童の居る事」
・・・――裾模様の貴婦人、ドレスの令嬢も見えたが、近所居まわりの長屋連らしいのも少くない。印半纏さえも入れごみで、席に劃はなかったのである。 で、階子の欄干際を縫って、案内した世話方が、「あすこが透いております。……どうぞ。」 と云っ・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・が、あの鉄鎚の音を聞け。印半纏の威勢のいいのでなく、田船を漕ぐお百姓らしい、もっさりとした布子のなりだけれども、船大工かも知れない、カーンカーンと打つ鎚が、一面の湖の北の天なる、雪の山の頂に響いて、その間々に、「これは三保の松原に、・・・ 泉鏡花 「小春の狐」
・・・が、間もあらせず、今度は印半纏を被た若いものに船を操らせて、亭主らしい年配な法体したのが漕ぎつけて、「これはこれは太夫様。」亭主も逸早くそれを知っていて、恭しく挨拶をした。浴衣の上だけれど、紋の着いた薄羽織を引かけていたが、さて、「改めて御・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・ 長提灯の新しい影で、すっすと、真新しい足袋を照らして、紺地へ朱で、日の出を染めた、印半纏の揃衣を着たのが二十四五人、前途に松原があるように、背のその日の出を揃えて、線路際を静に練る…… 結構そうなお爺さんの黒紋着、意地の悪そうな婆・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・(また行夫人 先生、あのここへいらっしゃりがけに、もしか、井菊の印半纏を着た男衆にお逢いなさりはしませんでしたか。画家 ああ、逢いました。夫人 何とも申しはいたしません?……画家 (徐に腕を拱さあ……あの菊屋と野田屋へ向って・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 枝折戸の外を、柳の下を、がさがさと箒を当てる、印半纏の円い背が、蹲まって、はじめから見えていた。 それには差構いなく覗いた女が、芸者の姿に、密と、直ぐに障子を閉めた。 向直った顔が、斜めに白い、その豌豆の花に面した時、眉を開い・・・ 泉鏡花 「妖術」
出典:青空文庫