・・・もしも、これがなかったら、われわれは食膳に向かって箸を取り上げることもできないであろうし、門の敷居をまたぐこともできないであろう。 空間の概略な計測には必ずしもメートル尺はいらない。人間の身体各部が最初の格好な物さしである。手の届かぬ距・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・それが溝の崖のずっと下のほうに引っかかって容易には取り上げる事ができないので、そのままにして帰った。この布切れが今でもやっぱり引っかかっているかもしれない。この日かいた絵を見ると、絵の下のほうにこの布切れがぶら下がっているような気がしてしか・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・先生が卵を食うと自分も卵を取り上げる。先生が海老を残したら、自分も海老を残したのだそうである。先生の死後に出て来たノートの中に「Tのすしの食い方」と覚え書きのしてあったのは、この時のことらしい。 千駄木へ居を定められてからは、また昔のよ・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・「ウウン、そうはいかねえ、謝りのしるしに榛の木畑をあのままそっくり取上げるちゅうこって、やっとおさめてきた」「榛の木畑を?」 善ニョムさんは、びっくりして頭をあげた。「仕様がないじゃないか、とっさん」 息子はおさえつける・・・ 徳永直 「麦の芽」
・・・わたくしを喜ばすのは、二、三日荒れに荒れた木枯しが、短い冬の日のあわただしく暮れると共に、ぱったり吹きやんで、寒い夜が一層寒く、一層静になったように思われる時、つけたばかりの燈火の下に、独り夕餉の箸を取上げる途端、コーンとはっきり最初の一撞・・・ 永井荷風 「鐘の声」
・・・春雨の格子戸に渋蛇の目開きかける様子といい、長火鉢の向うに長煙管取り上げる手付きといい、物思う夕まぐれ襟に埋める頤といい、さては唯風に吹かれる髪の毛の一筋、そら解けの帯の端にさえ、いうばかりなき風情が生ずる。「ふぜい」とは何ぞ。芸術的洗練を・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・相当の見識をもっている人でも、これらの問題に何となく女らしさの気分をからめて取り上げる傾向があると思う。 自分の一票を誰に与えようと考えたとき、たしかに真面目な婦人は、演説をききに出かけずにはいられない。うちで、そういう話も出る。意見も・・・ 宮本百合子 「「女らしさ」とは」
・・・「当面した現実の階級闘争の必要性を歴史小説において取上げることはブルジョア陣容においても見のがしてはならない。」直木三十五、吉川英治らが明治維新を「王政復古の名によって描き出し、帝国主義段階の今日において大衆のファッショ化を積極的に強化・・・ 宮本百合子 「文学に関する感想」
出典:青空文庫