・・・東条英機のような人間が天皇を脅迫するくらいの権力を持ったり、人民を苦しめるだけの効果しかない下手糞な金融非常処置をするような政府が未だに存在していたり、近年はかえすがえすも取り返しのつかぬような痛憤やる方ないことのみが多いが武田さんの死もま・・・ 織田作之助 「武田麟太郎追悼」
・・・夜、寝つけない頭のなかで、信子がきっと取返しがつかなくなる思いに苦しんだ。それに屈服する。それが行一にはもう取返しのつかぬことに思えた。「バッタバッタバッタ」鼓翼の風を感じる。「コケコッコウ」 遠くに競争者が現われる。こちらはいかに・・・ 梶井基次郎 「雪後」
・・・そしてそんなものをもらってしまって、たいてい自分が嚥まないのはわかっているのに、そのあとをいったいどうするつもりなんだと、吉田は母親のしたことが取り返しのつかないいやなことに思われるのだったが、傍にきいていた吉田の末の弟も「お母さん、も・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
・・・「如何がでした」と自分の顔を見るや。「取り返して来た!」と問われて直ぐ。 この答も我知らず出たので、嘘を吐く気もなく吐いたのである。 既にこうなれば自分は全たくの孤立。母の秘密を保つ身は自分自身の秘密に立籠らねばならなくなっ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・ところが世間に得てあるところの例で、品物を売る前には金が貴く思えて品物を手放すが、品物を手放してしまうとその物のないのが淋しくなり、それに未練が出て取返したくなるものである。杜九如の方ではテッキリそれだと思ったから、贋物だったなぞというのは・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・「どうぞ、然様いう訳でございますれば、……の御帰りになりまする前までに、こなた様の御力を以て其品を御取返し下さいまするよう。」と復一度、心から頭を下げた。そして、「御帰りの近々に逼って居りますことは、こなた様にも御存知の通り。御・・・ 幸田露伴 「雪たたき」
・・・そうなってしまうと、今度はハッキリ自家へ真直に帰らなかったことが、たまらなく悔いられた。取り返しのつかないことのように考えられた。龍介は停車場の前まで戻ってきてみた。待合室はガランとしていてストーヴが燃えていた。その前に、印も何も分らない半・・・ 小林多喜二 「雪の夜」
・・・出さなければよかった。取返しのつかぬ大恥をかいた。たった一夜の感傷を、二十年間の秘めたる思いなどという背筋の寒くなるような言葉で飾って、わあっ! 私は、鼻持ちならぬ美文の大家です。文章倶楽部の愛読者通信欄に投書している文学少女を笑えません。・・・ 太宰治 「風の便り」
・・・ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧いた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾・・・ 太宰治 「走れメロス」
・・・これは実にその人にとっては取り返しのつかない損失でなければならない。 このような人は単に自分の担任の建築や美術品のみならず、他の同種のものに対しても無感覚になる恐れがある。たとえばよその寺で狩野永徳の筆を見せられた時に「狩野永徳の筆」と・・・ 寺田寅彦 「案内者」
出典:青空文庫