・・・「じゃただ今一つ召し上って御覧なさいまし。」 枕もとに来ていた看護婦は器用にお律の唇へ水薬の硝子管を当てがった。母は眼をつぶったなり、二吸ほど管の薬を飲んだ。それが刹那の間ながら、慎太郎の心を明くした。「好い塩梅ですね。」「・・・ 芥川竜之介 「お律と子等と」
・・・ 二 すると同じ三十日の夜、井伊掃部頭直孝の陣屋に召し使いになっていた女が一人俄に気の狂ったように叫び出した。彼女はやっと三十を越した、古千屋という名の女だった。「塙団右衛門ほどの侍の首も大御所の実検には具・・・ 芥川竜之介 「古千屋」
・・・なお喜左衛門の忠直なるに感じ給い、御帰城の後は新地百石に御召し出しの上、組外れに御差加えに相成り、御鷹部屋御用掛に被成給いしとぞ。「その後富士司の御鷹は柳瀬清八の掛りとなりしに、一時病み鳥となりしことあり。ある日上様清八を召され、富士司・・・ 芥川竜之介 「三右衛門の罪」
・・・御食事は勿論、御召し物さえ、御不自由勝ちに違いありませんから。」「いや、衣食は春秋二度ずつ、肥前の国鹿瀬の荘から、少将のもとへ送って来た。鹿瀬の荘は少将の舅、平の教盛の所領の地じゃ。その上おれは一年ほどたつと、この島の風土にも慣れてしま・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・夜陰に及んで、突然召しを受ける。――そう云う事は、林右衛門の代から、まだ一度も聞いた事がない。しかも今日は、初めて修理が登城をした日である。――宇左衛門は、不吉な予感に襲われながら、慌しく佐渡守の屋敷へ参候した。 すると、果して、修理が・・・ 芥川竜之介 「忠義」
・・・「御心ならば、主よ、アグネスをも召し給え」 クララは軽くアグネスの額に接吻した。もう思い残す事はなかった。 ためらう事なくクララは部屋を出て、父母の寝室の前の板床に熱い接吻を残すと、戸を開けてバルコンに出た。手欄から下をすかして・・・ 有島武郎 「クララの出家」
・・・ 突然川柳で折紙つきの、という鼻をひこつかせて、「旦那、まあ、あら、まあ、あら良い香い、何て香水を召したんでございます。フン、」 といい方が仰山なのに、こっちもつい釣込まれて、「どこにも香水なんぞありはしないよ。」「じゃ・・・ 泉鏡花 「縁結び」
・・・「旦那、旦那、さあ、もう召して下さい、……串戯じゃない。」 と半分呟いて、石に置いた看板を、ト乗掛って、ひょいと取る。 鼻の前を、その燈が、暗がりにスーッと上ると、ハッ嚔、酔漢は、細い箍の嵌った、どんより黄色な魂を、口から抜出さ・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・――はい、店口にござります、その紫の袈裟を召したのは私が刻みました。祖師のお像でござりますが、喜撰法師のように見えます処が、業の至りませぬ、不束ゆえで。」 と、淳朴な仏師が、やや吶って口重く、まじりと言う。 しかしこれは、工人の器量・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・方伯ペリクス其妻デルシラと共に一日パウロを召してキリストを信ずるの道を聴く、時にパウロ公義と樽節と来らんとする審判とを論ぜしかばペリクス懼れて答えけるは汝姑く退け、我れ便時を得ば再び汝を召さん、とある、而して今時の説教師、其・・・ 内村鑑三 「聖書の読方」
出典:青空文庫