・・・だれとも顔を合わせるのがいやだから、いま時分歩くのだ。と答えた。それはおもしろい。これから友だちになろうじゃあありませんかと、電信柱は申し出た。妙な男は、すぐさま承諾していうに、「電信柱さん、世間の人はみんなきらいでも、おまえさんは好き・・・ 小川未明 「電信柱と妙な男」
・・・土耳古帽氏は復び畠の傍から何か採って来て、自分の不興を埋合せるつもりでもあるように、それならこれはどうです、と差出してくれた。それを見ると東坡巾先生は悲しむように妙に笑ったが、まず自ら手を出して喫べたから、自分も安心して味噌を着けて試みたが・・・ 幸田露伴 「野道」
・・・空にある月が満ちたり欠けたりする度に、それと呼吸を合わせるような、奇蹟でない奇蹟は、まだ袖子にはよく呑みこめなかった。それが人の言うように規則的に溢れて来ようとは、信じられもしなかった。故もない不安はまだ続いていて、絶えず彼女を脅かした。袖・・・ 島崎藤村 「伸び支度」
・・・然らば何故にそが十二宮なり二十八宿なりにて劃一せられずして、却て相混合せるものを擧げしか。これ陰陽思想によりて占星家の手に成りしものなるを考へしむる也。その理は十二宮は太陽運行に基き、二十八宿は太陰の運行に基きしものなれば、陽の初なる東とそ・・・ 白鳥庫吉 「『尚書』の高等批評」
・・・その、あいつというのは、博士と高等学校、大学、ともにともに、机を並べて勉強して来た男なのですが、何かにつけて要領よく、いまは文部省の、立派な地位にいて、ときどき博士も、その、あいつと、同窓会などで顔を合せることがございまして、そのたびごとに・・・ 太宰治 「愛と美について」
・・・この編上げの靴の紐を二本つなぎ合せる。短かすぎるようならば、ズボン下の紐が二尺。きめてしまって、私は、大泥棒のように、どんどん歩いた。黄昏の巷、風を切って歩いた。路傍のほの白き日蓮上人、辻説法跡の塚が、ひゅっと私の視野に飛び込み、時われに利・・・ 太宰治 「狂言の神」
・・・ 田島は、その兄と顔を合せるのがイヤなので、ケイ子をどこかへ引っぱり出そうとして、そのアパートに電話をかけたら、いけない、「自分は、ケイ子の兄でありますが。」 という、いかにも力のありそうな男の強い声。はたして、いたのだ。「・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・ 自分は浜辺へ出るのに、いつもこの店の前から土堤を下りて行くから熊さんとは毎日のように顔を合せる。土用の日ざしが狭い土堤いっぱいに涼しい松の影をこしらえて飽き足らず、下の蕃藷畑に這いかかろうとする処に大きな丸い捨石があって、熊さんのため・・・ 寺田寅彦 「嵐」
・・・単にフィルムの断片をはり合わせるだけで、一度現われたと寸分違わぬ光景を任意にいつでもカットバックしフラッシュバックすることもできる。東京の町とロンドンの町とを一瞬間に取り換えることもできる。また撮影速度の加減によって速いものをおそくも、おそ・・・ 寺田寅彦 「映画芸術」
・・・ この酋長の子が食われたので、映画師らは酋長に合わせる顔がないといってしょげる場面はどうも少し芝居じみる。A life for a life というタイトルが出たから映画師が殺されるかと思ったら、そうでなくてやはりライオンが一匹やられる・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(1[#「1」はローマ数字、1-13-21])」
出典:青空文庫