・・・肩を聳やかし、眉を高く額へ吊るし上げて、こう返事をした。「だって嫌なお役目ですからね。事によったら御気分でもお悪くおなりなさいますような事が。」奥さんはいよいよたじろきながら、こう弁明し掛けた。 フレンチの胸は沸き返る。大声でも出し・・・ 著:アルチバシェッフミハイル・ペトローヴィチ 訳:森鴎外 「罪人」
・・・六畳の部屋いっぱいにお襁褓を万国旗のように吊るした。 お君はしげしげと豹一のところへやってきた。火鉢の上でお襁褓を乾かしながら、二十歳で父となった豹一と三十八歳で孫をもったお君は朗かに笑い合った。安二郎から、はよ帰ってこいと迎えが来ると・・・ 織田作之助 「雨」
・・・蝶子は、鞄のような財布を首から吊るして、売り上げを入れたり、釣銭を出したりした。 朝の間、蝶子は廓の中へはいって行き軒ごとに西瓜を売ってまわった。「うまい西瓜だっせ」と言う声が吃驚するほど綺麗なのと、笑う顔が愛嬌があり、しかも気性が粋で・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・左右の手袋は分厚く重く、紐をつけた財布のように頸から吊るしていなければならない。銃は、その手袋の指の間から蝋をなすりつけたようにつるつる滑り落ちた。パルチザンはそこへつけこんできた。 兵士達は、始終過激派を追っかけ、家宅捜索をしたり、武・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・その背後に三畳くらいの小さな部屋があってそこには蚊帳が吊るして寝床が敷いたままになっていた。裏窓からその蚊帳を通して来る萌黄色の光に包まれたこの小さな部屋の光景が、何故か今でも目について忘れられない。 どんな用向きでどんな話をしたか、そ・・・ 寺田寅彦 「中村彝氏の追憶」
・・・ 四 馬が日射病にかかって倒れる、それを無理に引ずり起して頭と腹と尻尾を麻縄で高く吊るし上げて、水を呑ませたり、背中から水をぶっかけたりしている。人が大勢たかってそれを見物している。こういう光景を何遍となく街・・・ 寺田寅彦 「鑢屑」
・・・ 三 庭へ廻ると、廊下の隅に吊るした鸚哥の籠の前にふき子が立っている。紫っぽい着物がぱっと目に映えて、硝子越し、小松の生えた丘に浮かんで花が咲いたように見えた。陽子は足音を忍ばせ、いきなり彼女の目の下へ姿を現わ・・・ 宮本百合子 「明るい海浜」
・・・お金はぼんやりして、広間の真中に吊るしてある電灯を見ていた。女中達は皆好く寐ている様子で、所々で歯ぎしりの音がする。 その晩は雪の夜であった。寝る前に手水に行った時には綿をちぎったような、大きい雪が盛んに降って、手水鉢の向うの南天と竹柏・・・ 森鴎外 「心中」
・・・そして晩になると、その一合入りの徳利を紙撚で縛って、行燈の火の上に吊るしておく。そして燈火に向って、篠崎の塾から借りて来た本を読んでいるうちに、半夜人定まったころ、燈火で尻をあぶられた徳利の口から、蓬々として蒸気が立ちのぼって来る。仲平は巻・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫