電車の中で試みに同乗の人々の顔を注意して見渡してみると、あまり感じの好い愉快な顔はめったに見当らない。顔色の悪い事や、眼鼻の形状配置といったようなものは別としても、顔全体としての表情が十中八、九までともかくも不愉快なもので・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・してまた上野行に乗込み、さて車内の乗客を見渡すと、先刻行きに同乗した見覚えの顔がいくつも見つかったそうである。多分みんな狐につままれたような顔をしていたことと想像される。 地味な科学者の中でさえも「新しいもの好き」がある。新しいもの好き・・・ 寺田寅彦 「猫の穴掘り」
・・・ ヴェスヴィオの麓までの馬車には年取った英国人の夫婦と同乗させられた。英国の婆さんは英語のわからぬ御者というものがこの世に存在し得るという事実だけは夢想することも出来ないように見えた。しかし裾野の所々に熟したオレンジの畑は美しく、また日・・・ 寺田寅彦 「二つの正月」
・・・ 謡をうたう、同乗の子供に「お嬢さん、何か音が聞えますか?」 自分の謡のことを云うなり、子供わからず「……」「ねえ嬢ちゃん何の音だろう」 又謡をうたう。母親「何でしょうね」と世辞にいう。 子供・・・ 宮本百合子 「一九二七年春より」
出典:青空文庫