・・・入谷の朝顔と団子坂の菊人形の衰微は硯友社文学とこれまたその運命を同じくしている。向島の百花園に紫や女郎花に交って西洋種の草花の植えられたのを、そのころに見て嘆く人のはなしを聞いたことがあった。 銀座通の繁華が京橋際から年と共に新橋辺に移・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・、料理屋を兼ねた旅館ではないかと思われる。その名前や何かはこれを詳にしない。当時入谷には「松源」、根岸に「塩原」、根津に「紫明館」、向島に「植半」、秋葉に「有馬温泉」などいう温泉宿があって、芸妓をつれて泊りに行くものも尠くなかった。『今・・・ 永井荷風 「里の今昔」
・・・ 一通遊泳術の免許を取ってしまった後は全く教師の監督を離れるので、朝早く自分たちは蘆のかげなる稽古場に衣服を脱ぎ捨て肌襦袢のような短い水着一枚になって大川筋をば汐の流に任して上流は向島下流は佃のあたりまで泳いで行き、疲れると石垣の上に這・・・ 永井荷風 「夏の町」
友の来って誘うものあれば、わたくしは今猶向島の百花園に遊ぶことを辞さない。是恰も一老夫のたまたま夕刊新聞を手にするや、倦まずして講談筆記の赤穂義士伝の如きものを読むに似ているとでも謂うべきであろう。老人は眼鏡の力を借りて紙・・・ 永井荷風 「百花園」
向島は久しい以前から既に雅遊の地ではない。しかしわたくしは大正壬戌の年の夏森先生を喪ってから、毎年の忌辰にその墓を拝すべく弘福寺の墳苑に赴くので、一年に一回向島の堤を過らぬことはない。そのたびたびわたくしは河を隔てて浅草寺の塔尖を望み・・・ 永井荷風 「向嶋」
・・・井上唖々さんという竹馬の友と二人、梅にはまだすこし早いが、と言いながら向島を歩み、百花園に一休みした後、言問まで戻って来ると、川づら一帯早くも立ちまよう夕靄の中から、対岸の灯がちらつき、まだ暮れきらぬ空から音もせずに雪がふって来た。 今・・・ 永井荷風 「雪の日」
・・・間もなく震災があって、東京の市街は大方焼けてしまったので、裸体ダンスの噂もなくなったが、昭和になってから向島、平井町、五反田あたり新開町の花柳界には以前新橋赤坂で流行したようなダンスを見せる芸者が続々として現れるようになったという話をきいた・・・ 永井荷風 「裸体談義」
・・・家を出でて土筆摘むのも何年目病床を三里離れて土筆取 それから更に嬉しかったことは、その次の日曜日にまた碧梧桐が家族と共に向島の花見に行くというので、母が共に行かれたことである。花盛りの休日、向島の雑鬧は思いやられるので、・・・ 正岡子規 「病牀苦語」
・・・帰りは白鬚から蒸気船で吾妻橋まで戻る積りで、暗い混雑した向島の堤を行った。家に帰る沢山の空馬力、自転車、労働者が照明の不充分な塵っぽい堤を陸続、互に先を越そうとしながらせっかちに通る。白鬚の渡場への下り口にさしかかると、四辺の光景は強烈に廃・・・ 宮本百合子 「九月の或る日」
・・・それで江井も大いに頭をしぼり、向島の西村の土地のがら空きのところへアパートを建てることになり、それで江井の安定の手段とすることになりました。私はやっと肩の重荷をおろしました。何しろ、こういう話、スエ子の話、皆、百合子様、お姉様なのです。この・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
出典:青空文庫