・・・ボーイにマッチを貰って煙草を吸う。吸殻を落すと船腹に引付いて落ちてすぐ見えなくなる。浦戸の燈台が小さく見える。西を見ると神島が夕日を背にして真黒に浮上がって見える。横波の入日をこして北を見ると遠い山の頂に白いものが見える。ボーイが御茶を上げ・・・ 寺田寅彦 「高知がえり」
・・・娘の姿のちらちらする日には竹村君は面白そうに一時間の余も話し込んでいるが、娘の顔を見せぬ日は自然に口が重くてそうかといって急に帰るでもなく、朝日を引切りなしに吹かして真鍮のしかみ火鉢の片隅へ吸殻の山をこしらえる。一週間に一遍くらいはきっと廻・・・ 寺田寅彦 「まじょりか皿」
・・・公衆のために設けられたる料理屋の座敷に上っては、掛物と称する絵画と置物と称する彫刻品を置いた床の間に、泥だらけの外套を投げ出し、掃き清めたる小庭に巻煙草の吸殻を捨て、畳の上に焼け焦しをなし、火鉢の灰に啖を吐くなぞ、一挙一動いささかも居室、家・・・ 永井荷風 「妾宅」
・・・「晩にね、僕が、煙草の吸殻を飯粒で練って、膏薬を製ってやろう」「宿へつけば、どうでもなるんだが……」「あるいてるうちが難義か」「うん」「困ったな。――どこか高い所へ登ると、人の通る路が見えるんだがな。――うん、あすこに高・・・ 夏目漱石 「二百十日」
・・・もう山焼けの火はたばこの吸殻のくらいにしか見えません。よだかはのぼってのぼって行きました。 寒さにいきはむねに白く凍りました。空気がうすくなった為に、はねをそれはそれはせわしくうごかさなければなりませんでした。 それだのに、ほしの大・・・ 宮沢賢治 「よだかの星」
・・・ 自ら尾世川の心にも漠然とした感慨が湧いて来たらしく、彼は暫く黙り込んで、自分の鼻から出る朝日の煙を眺めていたが、「――そろそろ始めましょうか」 吸殻を、灰の堅い火鉢の隅へねじ込んだ。尾世川のところにはたった一つ、剥げかけた一閑・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・ 朝日の吸殻を、灰皿に代用している石決明貝に棄てると同時に、木村は何やら思い附いたという風で、独笑をして、側の机に十冊ばかり積み上げてある manuscrits らしいものを一抱きに抱いて、それを用箪笥の上に運んだ。 それは日出新聞・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫