・・・が、とにかく紳士と呼ぶのに躊躇することだけは事実である。 主筆 今度は一つうちの雑誌に小説を書いては頂けないでしょうか? どうもこの頃は読者も高級になっていますし、在来の恋愛小説には満足しないようになっていますから、……もっと深い人間性・・・ 芥川竜之介 「或恋愛小説」
・・・用のある時は呼ぶからと言うので監督は事務所の方に退けられた。 きちょうめんに正座して、父は例の皮表紙の懐中手帳を取り出して、かねてからの不審の点を、からんだような言い振りで問いつめて行った。彼はこの場合、懐手をして二人の折衝を傍観する居・・・ 有島武郎 「親子」
・・・これは露西亜で毎に知らぬ犬を呼ぶ名である。「シュッチュカ」、来い来い、何も可怖いことはない。 シュッチュカは行っても好いと思った。そこで尻尾を振って居たが、いよいよ行くというまでに決心がつかなかった。百姓は掌で自分の膝を叩いて、また呼ん・・・ 著:アンドレーエフレオニード・ニコラーエヴィチ 訳:森鴎外 「犬」
・・・かつ今予はそんな必要を感じないのだから、手取早くただ男らしい活動の都府とだけ呼ぶ。この活動の都府の道路は人もいうごとく日本一の悪道路である。善悪にかかわらず日本一と名のつくのが、すでに男らしいことではないか。かつ他日この悪道路が改善せられて・・・ 石川啄木 「初めて見たる小樽」
・・・ばたりと煽って自から上に吹開く、引窓の板を片手に擡げて、倒に内を覗き、おくの、おくのとて、若き妻の名を呼ぶ。その人、面青く、髯赤し。下に寝ねたるその妻、さばかりの吹降りながら折からの蒸暑さに、いぎたなくて、掻巻を乗出でたる白き胸に、暖き息、・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・もちろん大工を呼ぶ暇は無い。三人の男共を指揮して、数時間豪雨の音も忘れるまで活動した結果、牛舎には床上更に五寸の仮床を造り得た。かくて二十頭の牛は水上五寸の架床上に争うて安臥するのであった。燃材の始末、飼料品の片づけ、為すべき仕事は無際限に・・・ 伊藤左千夫 「水害雑録」
・・・僕もここの家族の言いならしに従って、お貞婆アさんをそう呼ぶことにしたのだ!――「きょうは今から吉弥さんを呼んで、十分飲みますぞ」「毎度御ひいきは有難うございますけれど、先生はそうお遊びなさってもよろしゅうございますか?」「なアに・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・力真に成る鼎扛ぐべし 鳴鏑雲を穿つて咆虎斃る 快刀浪を截つて毒竜降る 出山赤手強敵を擒にし 擁節の青年大邦に使ひす 八顆の明珠皆楚宝 就中一顆最も無双 妙椿八百尼公技絶倫 風を呼び雨を喚ぶ幻神の如し 祠辺の老樹精萃を蔵す 帳・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・古いひのきは雨と風を呼ぶためにあらゆる大きな枝、小さな枝を、落日後の空にざわつきたてたのであります。 小川未明 「あらしの前の木と鳥の会話」
・・・「私ゃまた、鳥居のところでお光さんお光さんて呼ぶから、誰かと思ってヒョイと振り返って見ると、金さんだもの、本当にびっくらしたわ。一体まあ東京を経ってから今日までどうしておいでだったの?」「さあ、いろいろ談せば長いけれど……あれからす・・・ 小栗風葉 「深川女房」
出典:青空文庫