・・・彼は、鉱脈の拡大しているのに従って、坑道を喇叭状に掘り拡げた。が、掘り拡げても、掘り拡げても、なお、そのさきに、黄銅鉱がきら/\光っていた。経験から、これゃ、巨大な鉱石の大塊に出会したのだと感じた。と、畜生! 井村は、土を持って来て、こいつ・・・ 黒島伝治 「土鼠と落盤」
・・・池があったのですが、それも潰されてしまって、変ったと言えば、まあそれくらいのもので、今でも、やはり二階の縁側からは、真直に富士が見えますし、兵隊さんの喇叭も朝夕聞えてまいります。父が長崎の県知事をしていたときに、招かれて、こちらの区長に就任・・・ 太宰治 「誰も知らぬ」
・・・あの時の楽隊の騒がしい喇叭のはやしはまだ耳に残っている。そこらの氷店へはいって休んだ時には、森の中にあふるる人影がちらついて、赤い灯や青い旗を吹く風も涼しく、妹婿がいつもの地味な浴衣をくつろげ姪にからかいながらラムネの玉を抜いていた姿があり・・・ 寺田寅彦 「障子の落書」
・・・「そう、少し喇叭の方かもしれん」「家のやつも人を悦ばせるのは嫌いな方じゃないけれど」「庄ちゃんが讃めていたから、いい人でしょうね。けど奥さんもずいぶん骨が折れますわ。幾歳だとか……」「絹ちゃんより少し若い。巳年だ」「巳は・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・ 明治四十一年頃ロシヤのパンパンが耳新しく聞かれた時分、豆腐屋はまだ喇叭を吹かず黄銅製の振鐘を振鳴していたように、わたくしは記憶している。煙管羅宇竹のすげ替をする商人が、小さな車を曳き其上に据付けた釜の湯気でピイピイと汽笛を吹きならして・・・ 永井荷風 「巷の声」
・・・期限は三十日、傍の木立に吾旗を翻えし、喇叭を吹いて人や来ると待つ。今日も待ち明日も待ち明後日も待つ。五六三十日の期が満つるまでは必ず待つ。時には我意中の美人と共に待つ事もある。通り掛りの上臈は吾を護る侍の鎧の袖に隠れて関を抜ける。守護の侍は・・・ 夏目漱石 「幻影の盾」
・・・ 豆腐屋が喇叭を吹いて通った。喇叭を口へあてがっているんで、頬ぺたが蜂に螫されたように膨れていた。膨れたまんまで通り越したものだから、気がかりでたまらない。生涯蜂に螫されているように思う。 芸者が出た。まだ御化粧をしていない。島田の・・・ 夏目漱石 「夢十夜」
・・・ひょろひょろした笛の音も入っていたし、大喇叭のどなり声もきこえた。ぼくにはみんなわかって来たのだよ。『ネリ、もう少しだよ、しっかり僕につかまっておいで。』 ネリはだまってきれで包んだ小さな卵形の頭を振って、唇を噛んで走った。 二・・・ 宮沢賢治 「黄いろのトマト」
・・・ 傍机の壺に投げ入れた喇叭水仙の工合を指先でなおし乍ら、愛は、奇妙なこの感情を静に辿って行った。拘泥して居た胸の奥が、次第に解れて来る。終には、照子に対するどこやら錯覚的な愉快ささえ、ほのぼのと湧き出して来た。愛は、自分だけにしか判らな・・・ 宮本百合子 「斯ういう気持」
・・・ガンベッタが喇叭を吹けと云った。そしたら進撃の譜は吹かないで、rveil の譜を吹いた。イタリア人は生死の境に立っていても、遊びの心持がある。兎に角木村のためには何をするのも遊びである。そこで同じ遊びなら、好きな、面白い遊びの方が、詰まらな・・・ 森鴎外 「あそび」
出典:青空文庫