・・・ 三 杏仁水 ある夏の夜、神田の喫茶店へはいって一杯のアイスクリームを食った。そのアイスクリームの香味には普通のヴァニラの外に一種特有な香味の混じているのに気がついた。そうしてそれが杏仁水であることを思い出すと同時・・・ 寺田寅彦 「さまよえるユダヤ人の手記より」
・・・ ずっと前のことであるが、ある夏の日銀座の某喫茶店に行っていたら、隣席に貧しげな西洋人の老翁がいて、アイスクリームを食っていた。それが、通りかかったボーイを呼び止めて何か興奮したような大声で「カントクサン、呼んでください。カントクサン、・・・ 寺田寅彦 「三斜晶系」
・・・ 五 熱帯魚 喫茶店の二階で友人と二人で話していた。椰子やゴムの木の鉢と入り乱れて並んだ白いテーブルを取りかこんだ人々の群れには、家族連れも多かったが、ともかくも自分らのように不景気な男ばかりの仲間はまれであるように・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・ その頃には銀座界隈には、己にカフェエや喫茶店やビイヤホオルや新聞縦覧所などいう名前をつけた飲食店は幾軒もあった。けれども、それらはいずれも自分の目的には適しない。一時間ばかりも足を休めて友達とゆっくり話をしようとするには、これまでの習・・・ 永井荷風 「銀座」
・・・ 喫茶店をやっている人が来て、近々その店を閉めて、子供の予習所にするという話をした。砂糖その他が高くなって、今まで十銭のコーヒーであったのを十五銭にしなければ合わなくなった。喫茶店で出すマッチね、あれは紙なしで――表紙に貼ってあるペーパ・・・ 宮本百合子 「打あけ話」
・・・末次内務大臣は、大学専門学校等の周囲三百米から喫茶店、ビリヤード、マージャン等の店を撤廃するように命じ、従来の自由主義的な学生の取締方法を変更するべきことをすすめた。十二月二十四日の都下の諸新聞は、防共三首都の日本景気に氾濫したニュースと共・・・ 宮本百合子 「今日の文学の展望」
・・・するとデモは書かないで、喫茶店のことばかり書く、そういう日常性の浅薄さ、日常性のブルジョア的解釈へ書く方も、批評する方も、ひきずられていることがよくない」と力説している。そして「ストライキをとりあげた作品が勤労者文学にひとつもでてこない、こ・・・ 宮本百合子 「その柵は必要か」
・・・が、平和が調印され、学生と云うので早く兵籍から放たれた二十歳のハフは、ロンドンに帰ると学業などはそっちのけで素姓もわからない喫茶店の給仕女と結婚し、悪い仲間に誘われて、曖昧至極な会社を作り、家へなどはよりつきもしません。 遂にそのことか・・・ 宮本百合子 「「母の膝の上に」(紹介並短評)」
・・・一冊の雑誌を取ってみても、一枚の新聞の中にも、或は喫茶店でされる会話の中にも、ファッシズムの浸透とそれに抗して打ち壊こうとする大衆の意志は対立して盛り込まれている。 芸術上、ファッシズムに対する闘争というのは、従って極めて日常的に、細部・・・ 宮本百合子 「ブルジョア作家のファッショ化に就て」
・・・その心理が映画館や喫茶店から○○会へ場所を変えたというだけであったら、格別の意味はないというしかないと思う。自分の判断やもののみかたの定らないひとほど他人の意見に追随するもので、女が英雄崇拝であると云われる原因も、そういうところにある。ひと・・・ 宮本百合子 「身についた可能の発見」
出典:青空文庫