・・・ 彼が新知識、特にオランダ渡りの新知識に対して強烈な嗜慾をもっていたことは到る処に明白に指摘されるのであるが、そういう知識をどこから得たか自分は分からない。しかし『永代蔵』中の一節に或る利発な商人が商売に必要なあらゆる経済ニュースを蒐集・・・ 寺田寅彦 「西鶴と科学」
・・・もっとも当人がすでに人間であって相応に物質的嗜欲のあるのは無論だから多少世間と折合って歩調を改める事がないでもないが、まあ大体から云うと自我中心で、極く卑近の意味の道徳から云えばこれほどわがままのものはない、これほど道楽なものはないくらいで・・・ 夏目漱石 「道楽と職業」
・・・なぜというと、一つは人を支配するための生活で、一つは自分の嗜慾を満足させるための生活なのだから、意味が全く違う。意味が違えば様子も違うのがもっともだといったような話であります。反対の例を挙げて今度は同じ事を逆に説明してみましょう。世間には芸・・・ 夏目漱石 「中味と形式」
・・・しかのみならず日露戦争も無事に済んで日本も当分はまず安泰の地位に置かれるような結果として、天下国家を憂としないでも、その暇に自分の嗜欲を満足する計をめぐらしても差支ない時代になっている。それやこれやの影響から吾々は日に月に個人主義の立場から・・・ 夏目漱石 「文芸と道徳」
・・・こうなると人間は獣的嗜慾だけだから、喰うか、飲むか、女でも弄ぶか、そんな事よりしかしない。――一滴もいけなかった私が酒を飲み出す、子供の時には軽薄な江戸ッ児風に染まって、近所の女のあとなんか追廻したが、中年になって真面目になったその私が再び・・・ 二葉亭四迷 「予が半生の懺悔」
出典:青空文庫