・・・ これはあるじの国許から、五ツになる男の児を伴うて、この度上京、しばらくここに逗留している、お民といって縁続き、一蒔絵師の女房である。 階下で添乳をしていたらしい、色はくすんだが艶のある、藍と紺、縦縞の南部の袷、黒繻子の襟のなり、ふ・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・ 二タ月ほどして国元から手紙を遣したが、紋切形の無沙汰見舞であった。半歳ほどして上京したが、その時もいずれ参上するという手紙を遣しただけでやはり顔を見せなかった。U氏から後に聞くと、U氏が私にYの話をした翌る日に、帰国の前にモ一度私の許・・・ 内田魯庵 「三十年前の島田沼南」
・・・種吉は若い頃お辰の国元の大和から車一台分の西瓜を買って、上塩町の夜店で切売りしたことがある。その頃、蝶子はまだ二つで、お辰が背負うて、つまり親娘三人総出で、一晩に百個売れたと種吉は昔話し、喜んで手伝うことを言った。関東煮屋のとき手伝おうと言・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・路の二三丁も歩いたが、桂はその間も愉快に話しながら、国元のことなど聞き、今年のうちに一度故郷に帰りたいなどいっていた。けれども僕は桂の生活の模様から察して、三百里外の故郷へ往復することのとうてい、いうべくして行なうべからざるを思い、べつに気・・・ 国木田独歩 「非凡なる凡人」
・・・ つい昨年の冬、汐田がテツさんを国元へ送りかえした時のことである。 テツさんと汐田とは同じ郷里で幼いときからの仲らしく、私も汐田と高等学校の寮でひとつ室に寝起していた関係から、折にふれてはこの恋愛を物語られた。テツさんは貧しい育ちの・・・ 太宰治 「列車」
・・・せめて代わりの人のあるまで辛抱してくれと、よしやまだ一介の書生にしろ、とにかく一家の主人が泣かぬばかりに頼んだので、その日はどうやら思い止まったらしかったが、翌日は国元の親が大病とかいうわけでとうとう帰ってしまう。掛け取りに来た車屋のばあさ・・・ 寺田寅彦 「どんぐり」
・・・死ぬか生きるかと云う戦争中にこんな小説染みた呑気な法螺を書いて国元へ送るものは一人もない訳ださ」「そりゃ無い」と云ったが実はまだ半信半疑である。半信半疑ではあるが何だか物凄い、気味の悪い、一言にして云うと法学士に似合わしからざる感じが起・・・ 夏目漱石 「琴のそら音」
・・・しかし時々は我輩に聞えぬように我輩の国元を気にして評する奴がある。この間或る所の店に立って見ていたら後ろから二人の女が来て“least poor Chinese”と評して行った。least poor とは物匂い形容詞だ。或る公園で男女二人連・・・ 夏目漱石 「倫敦消息」
・・・ 只どうしようと云うばかりに国許へは一度も知らせてやらなかったし、弟に来てくれとも云ってやらなかった。 それが、どう云うわけと云うではなく、只、どうしていいか見当のつかない様な心から起った事である。 塩からく、又生ぬるい涙が、眼・・・ 宮本百合子 「栄蔵の死」
・・・ この前は拘留があけると警察から真直ステーションへつれてゆかれ、汽車にのせられ、国元へ送り帰されたのだそうだ。鉄道病院の模範看護婦で、日本大学の夜学で勉強したことがある――。「そこであんまりとんちんかんな社会学の講義をきかされたんで・・・ 宮本百合子 「刻々」
出典:青空文庫