・・・一葉落ちて天下の秋を知るとは古人の言だが、一行の落ちに新吉は人生を圧縮出来ると思っていた。いや、己惚れていた。そして、迷いもしなかった。現実を見る眼と、それを書く手の間にはつねに矛盾はなかったのだ。 ところが、ふとそれが出来なくなってし・・・ 織田作之助 「郷愁」
・・・久しい間の空気のこもった病室から院庭へ出ると、圧縮された胸がすが/\しく拡がるようだ。病院へつれて来られる時には、うつゝで、苦痛ばかりを意識しながら登ってきた丘に、今、さら/\と快よい雪が降っている。 雪のかゝらない軒庇から負傷者が乗り・・・ 黒島伝治 「氷河」
・・・づけ、懐疑説の矛盾をわずか数語でもって指摘し去り、ジッドの小説は二流也と一刀のもとに屠り、日本浪曼派は苦労知らずと蹴って落ちつき、はなはだしきは読売新聞の壁評論氏の如く、一篇の物語を一行の諷刺、格言に圧縮せむと努めるなど、さまざまの殺伐なる・・・ 太宰治 「もの思う葦」
・・・次におもしろいと思ったのは、舞台面の仮想的の床がずっと高くなり、天井がずっと低くなって天地が圧縮され、従って縮小された道具とその前に動く人形との尺度の比例がちょうど適当な比例になっているために、人形のほうが現実性を帯びるとともに人形使いのほ・・・ 寺田寅彦 「生ける人形」
・・・広大な戦場や都市を空中写真によって圧縮してスクリーンのわく内に収めることもできれば、スターの片方の目だけを同じスクリーンいっぱいに写し出すこともできる。従って、この特徴と重写の技巧とを併用すれば、一粒の芥子種の中に須弥山を収めることなどは造・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・それだから、カメラをさげて秋晴れの郊外を歩いている人たちはおそらく幾平方センチメートルの紙片の中に全武蔵野の秋を圧縮して持って来るつもりで歩いているのであろう。少なくも自分の場合には何枚かの六×九センチメートルのコダック・フィルムの中に一九・・・ 寺田寅彦 「カメラをさげて」
・・・も西洋にはないと言うのである、そうして、こういう語彙自身の中に日本人の自然観の諸断片が濃密に圧縮された形で包蔵されていると考えるのである。 日本における特異の気象現象中でも最も著しいものは台風であろう。これも日本の特殊な地理的位置に付帯・・・ 寺田寅彦 「日本人の自然観」
・・・ 発句は百韻五十韻歌仙の圧縮されたものであり、発句の展開されたものが三つ物となり表合となり歌仙百韻となるのである。発句の主題は言葉の意味の上からは物語的には発展されないが、連想活動の勢力としてはどこまでも展開されて行く。また発句から脇と・・・ 寺田寅彦 「俳諧の本質的概論」
・・・またもしそれが夢幻的空想的であるとしても、日本人のそれのように濃厚に圧縮されたそうして全国民に共通で固有な民族的記憶でいろどられたものではおそらくあり得ないであろうと思われる。「佐渡」でも「天の川」でも同様である。いったいに俳句の季題と・・・ 寺田寅彦 「俳句の精神」
・・・ また風が速度のために熱するということも考えられている。圧縮によって熱の種子が絞り出されるという言葉もおもしろい。これらはガス体の熱力学の一部の予言とも見られる。 雷電の熱効果、器械的効果を述べる中に、酒壺に落雷すると酒は蒸発してし・・・ 寺田寅彦 「ルクレチウスと科学」
出典:青空文庫