・・・それから強隣の圧迫も、次第に甚しくなって来るらしい。そこで本間さんは已むを得ず、立った後の空地へ制帽を置いて、一つ前に連結してある食堂車の中へ避難した。 食堂車の中はがらんとして、客はたった一人しかいない。本間さんはそれから一番遠いテエ・・・ 芥川竜之介 「西郷隆盛」
・・・僕はこの深い轍に何か圧迫に近いものを感じた。逞しい天才の仕事の痕、――そんな気も迫って来ないのではなかった。「まだ僕は健全じゃないね。ああ云う車の痕を見てさえ、妙に参ってしまうんだから。」 O君は眉をひそめたまま、何とも僕の言葉に答・・・ 芥川竜之介 「蜃気楼」
・・・彼に見られる度に、私は反抗心が刺戟される様な、それで居て如何にも抵抗の出来ない様な、一種の圧迫を感じて、厭な気になるが、其の眼には確かに強く人を牽きつける力を籠めて居る。「豹の眼だ」と此の時も思ったのである。 私が向き直ると、ヤコフ・イ・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・じつに彼らは、抑えても抑えても抑えきれぬ自己その者の圧迫に堪えかねて、彼らの入れられている箱の最も板の薄い処、もしくは空隙に向ってまったく盲目的に突進している。今日の小説や詩や歌のほとんどすべてが女郎買、淫売買、ないし野合、姦通の記録である・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・軍紀とか、命令とかいうもので圧迫に圧迫を加えられたあげく、これじゃアたまらないと気がつく個人が、夢中になって、盲進するのだ。その盲進が戦争の滋養物である様に、君の現在では、家族の饑が君の食物ではないか。人間は皆苦しみに追われて活動しているの・・・ 岩野泡鳴 「戦話」
・・・とにかく、僕は一種不愉快な圧迫を免れたような気がして、女優問題をもなるべく僕の心に思い浮べないようにしようときめた。かつ、これからは僕から弱く出てかれこれ言うには及ばない、吉弥に性根があったら、向うから何とか言って来るだろう、それを待ってい・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・然るに文人に強うるに依然清貧なる隠者生活を以てし文人をして死したる思想の木乃伊たらしめんとする如き世間の圧迫に対しては余り感知せざる如く、蝸牛の殻に安んじて小ニヒリズムや小ヘドニズムを歌って而して独り自ら高しとしておる。一部の人士は今の文人・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・一八六四年にドイツ、オーストリアの二強国の圧迫するところとなり、その要求を拒みし結果、ついに開戦の不幸を見、デンマーク人は善く戦いましたが、しかし弱はもって強に勝つ能はず、デッペルの一戦に北軍敗れてふたたび起つ能わざるにいたりました。デンマ・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・ こうした涙ぐましい、謙譲にして真摯の芸術こそ、今日のような虚偽と冷酷と圧迫と犠牲とを何とも思っていない時代によって、まさしく正しい人々の胸に革新の火を燃やさずには措かないのである。トルストイの芸術がやはりそれだと思うのであります。・・・ 小川未明 「民衆芸術の精神」
・・・柳吉の冷やかな視線は、なぜか蝶子を圧迫した。蝶子はそれに負けまいとして、持前の勝気な気性が蛇のように頭をあげて来た。柳吉の妹がくれた百円の金を全部でなくとも、たとえ半分だけでも、母親の葬式の費用に当てようと、ほとんど気がきまった。ままよ、せ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
出典:青空文庫