・・・「東京帝国大学校地質学教室行、」と書いた大きな札がつけられました。 そして、みんなは、「よいしょ。よいしょ。」と云いながら包みを、荷馬車へのせました。「さあ、よし、行こう。」 馬はプルルルと鼻を一つ鳴らして、青い青い向うの野・・・ 宮沢賢治 「気のいい火山弾」
・・・(そいじゃ頂(はっは、なあに、こごらのご馳走(地質です。もうからない仕事餅を噛み切って呑み下してまた云った。(化石化石も嘉吉は知っていた。(ええ海百合です。外でもとりました。この岩はまだ上流にも二、三ヶ所学生は何でももう早く餅をげろ呑みにし・・・ 宮沢賢治 「十六日」
・・・この山と地質は同じです。ただ北側なため雑木が少しはよく育ってます。〕いいや駄目だ。おしまいのことを云ったのは結局混雑させただけだ。云わないでおけばよかった。それでもあの崖はほんとうの嫩い緑や、灰いろの芽や、樺の木の青やずいぶん立派だ。佐藤箴・・・ 宮沢賢治 「台川」
・・・アイルランド生れの物理学者であったジョン・チンダルは地質学者ではなかったが、数十年をへた今日でも、このアルプスを愛し氷河に興味をもった物理学者の観察の記述は精細さで比類すくないものとされている。面白さ、科学性と人間性の清潔な美しさにおいても・・・ 宮本百合子 「科学の常識のため」
・・・太平洋に面した海岸の巖石が、地質の関係で、亀甲形や菊皿のような形に一面並んでいる、先に南洋の檳榔樹、蘭科植物などが繁茂した小島が在る。その巖の特殊な現象と、その小島に限って南洋植物が生育しているのとが、青島を著名にしているのだが、私共は大し・・・ 宮本百合子 「九州の東海岸」
・・・ 空襲をうけた日本の土地土地の地質が変化した。やけたあとの土に庭木は育たなくなった。そのかわり、猛烈な雑草の繁殖力があらわれた。ひとの背たけの倍ほどもある鬼蓼が昔、森鴎外の住んでいた観潮楼のやけあとにも生えた。 一九四六年一月から、・・・ 宮本百合子 「「下じき」の問題」
・・・なかったドイツの運動の段階においてはさけがたいものであったろう或る種の制約をうけていたことを、手紙の多くの箇所に、特に彼女がゲーテの自然科学を研究した観念論者らしい態度に賛同し、自分も環境を無視して今地質の本をよんでいると書いているところで・・・ 宮本百合子 「生活の道より」
・・・ロシアの歴史的なアナーキストであり、地質学者でもある公爵ピョートル・クロポトキンが一九〇一年に、ボストン市で「ロシア文学の理想と現実」という講演をやったことがあった。そのときクロポトキンは、ツルゲーネフの諸作品の重要なモティーヴが殆ど皆恋愛・・・ 宮本百合子 「ツルゲーネフの生きかた」
・・・長年耕された土地でさえも肥料の入るわりに良い結果は表れない様な地質である、その上に耕すのも、ならすのも、収獲するにも、工業的の機械を用うる事はなく、鍬、鋤、鎌などが彼等唯一の用具であくまでもそれを保守して、新らしい機械などには見向きもしない・・・ 宮本百合子 「農村」
・・・ 衣類の本当の合理化は、その人々の働きの種類によって、休安の目的によって形も地質も考えられるのが当然である。 人の働きもいろいろで、私の着物は他のものを書く人と同様に独特の痛みかたをする。日本服だから袖口が痛むのはおきまりだけれ・・・ 宮本百合子 「働くために」
出典:青空文庫