・・・鳥は今度の大地震にも困ると云うことを知らないであろう。しかし我我人間は衣食住の便宜を失った為にあらゆる苦痛を味わっている。いや、衣食住どころではない。一杯のシトロンの飲めぬ為にも少からぬ不自由を忍んでいる。人間と云う二足の獣は何と云う情けな・・・ 芥川竜之介 「侏儒の言葉」
・・・ なんでも一月か二月のある夜、地震のために目をさました「てつ」は前後の分別を失ったとみえ、枕もとの行灯をぶら下げたなり、茶の間から座敷を走りまわった。僕はその時座敷の畳に油じみのできたのを覚えている。それからまた夜中の庭に雪の積もってい・・・ 芥川竜之介 「追憶」
・・・以前はこれが一面の目を驚かすものだったが、何の年かの大地震に、坤軸を覆して、左右へ裂けたのだそうである。 またこの石を、城下のものは一口に呼んで巨石とも言う。 石の左右に、この松並木の中にも、形の丈の最も勝れた松が二株あって、海に寄・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 天地震動、瓦落ち、石崩れ、壁落つる、血煙の裡に、一樹が我に返った時は、もう屋根の中へ屋根がめり込んだ、目の下に、その物干が挫げた三徳のごとくになって――あの辺も火は疾かった――燃え上っていたそうである。 これ――十二年九月一日・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・本家は風流に隠れてしまったが、分家は今でも馬喰町に繁昌している。地震の火事で丸焼けとなったが、再興して依然町内の老舗の暖簾といわれおる。 椿岳の米三郎は早くから絵事に志ざした風流人であって、算盤を弾いて身代を肥やす商売人肌ではなかった。・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・と書棚の中から気象学会や地震学会の報告書を出して見せた。こういうものまでも一と通りは眼を通さなければ気が済まなかったらしい。が、権威的の学術書なら別段不思議はないが、或る時俗謡か何かの咄が出た時、書庫から『魯文珍報』や『親釜集』の合本を出し・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・あるいは地震でもな……気をつけましょう。」と、先生は、しきりに騒ぐ鳥を見ながらいいました。 はたして、その夜、この町に大火が起こりました。そして、ほとんど、町の大半は全滅して、また負傷した人がたくさんありました。 この騒ぎに、あほう・・・ 小川未明 「あほう鳥の鳴く日」
・・・「二年ばかり前に大地震があって、そのとき、この町はつぶれてしまいました。」と、その人はいいました。「どこへみんないってしまったのですか。」と、宝石商は、昔の繁華な姿を目に思いうかべてたずねました。「みんなちりぢりになってしまった・・・ 小川未明 「宝石商」
・・・「大阪の芸者衆にはかなわんわ」と言われて、わずかに心が慰まった。 二日そうして経ち、午頃、ごおッーと妙な音がして来た途端に、激しく揺れ出した。「地震や」「地震や」同時に声が出て、蝶子は襖に掴まったことは掴まったが、いきなり腰を抜かし、キ・・・ 織田作之助 「夫婦善哉」
・・・だから吉田の頭には地震とか火事とか一生に一度遭うか二度遭うかというようなものまでが真剣に写っているのだった。また吉田がこの状態を続けてゆくというのには絶えない努力感の緊張が必要であって、もしその綱渡りのような努力になにか不安の影が射せばたち・・・ 梶井基次郎 「のんきな患者」
出典:青空文庫