・・・新坊や、可恐い処だ、あすこは可恐い処だよ。――聞きな。――おそろしくなって帰れなかったら、可い、可い、小母さんが、町の坂まで、この川土手を送ってやろう。 ――旧藩の頃にな、あの組屋敷に、忠義がった侍が居てな、御主人の難病は、巳巳巳巳、巳・・・ 泉鏡花 「絵本の春」
・・・「そんな皮肉を言わないで、坊やは?」「寝ました。」「母は?」「行火で、」と云って、肱を曲げた、雪なす二の腕、担いだように寝て見せる。「貴女にあまえているんでしょう。どうして、元気な人ですからね、今時行火をしたり、宵の内か・・・ 泉鏡花 「女客」
・・・幾月ぶりかの、お魚だから、大人は、坊やに譲ったんです。その癖、出がけには、坊や、晩には玉子だぞ。お土産は電車だ、と云って出たんですのに。―― お雪さんは、歌磨の絵の海女のような姿で、鮑――いや小石を、そッと拾っては、鬼門をよけた雨落の下・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・ 私は何とも知らなかったけれど、気が着いたら、尼様が、頭を撫でて、(千坊や、これで可いのじゃ。米も塩も納屋にあるから、出してたべさしてもらわっしゃいよ。私はちょっと町まで托鉢 とそうおっしゃったきり、お前、草鞋を穿いてお出懸で、・・・ 泉鏡花 「清心庵」
・・・「何ですね、――ねえ、……坊や。」 と、敷居の内へ……片手づきに、納戸へ背向に面を背けた。 樹島は謝礼を差出した。出来の上で、と辞して肯ぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、硯に直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするよ・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・るのだからと、お町が手巾でよく払いて、縁台に腰を掛けるのだから、じかに七輪の方がいい、そちこち、お八つ時分、薬鑵の湯も沸いていようと、遥な台所口からその権ちゃんに持って来させて、御挨拶は沢山……大きな坊やは、こう見えても人見知りをするから、・・・ 泉鏡花 「古狢」
・・・「もう三つ寝ると正月だよ、正月が来ると坊やは五つになるのよ、えいこったろう……木っぱのような餅たべて……油のような酒飲んで……」 姉は自分を喜ばせようとするような調子にそれを唄って、少しかがみ腰に笑顔で自分の顔を見るのであった。自分・・・ 伊藤左千夫 「守の家」
・・・「この笛を坊やにやるから、あちらの丘へいって吹いてごらん。これはいい音が出るよ。」といいました。 二郎はおじいさんから、その笛をもらいました。 おじいさんの顔は、いつも笑っているように柔和に見えました。 おじいさんは、あちら・・・ 小川未明 「赤い船のお客」
・・・「坊や、そこは水たまりだよ。入ると足が汚れるから、こっちを歩くのだよ。」と、父親はいいました。 子供は、そんなことは耳にはいらないように、笑って足先で、水の面を踏もうとしていました。「足が汚れるよ。」と、父親は無理に、やわらかな・・・ 小川未明 「幾年もたった後」
・・・おじいさんは、ある日のこと、松蔵に向かって、「坊や、おじいさんは、もう帰らなければならない。こんど、いつまた坊にあわれるかわからない。坊は、きっと上手なバイオリンの弾き手になるだろう。私のかたみに、このバイオリンを坊に置いてゆく。坊は、・・・ 小川未明 「海のかなた」
出典:青空文庫