・・・ 壱岐殿坂の中途を左へ真砂町へ上るダラダラ坂を登り切った左側の路次裏の何とかいう下宿へ移ってから緑雨は俄に落魄れた。落魄れたといっては語弊があるが、それまでは緑雨は貧乏咄をしても黒斜子の羽織を着ていた。不味い下宿屋の飯を喰っていても牛肉・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・当時本郷の富坂の上に住っていた一青年たる小生は、壱岐殿坂を九分通り登った左側の「いろは」という小さな汁粉屋の横町を曲ったダラダラ坂を登り切った左側の小さな無商売屋造りの格子戸に博文館の看板が掛っていたのを記憶している。小生は朝に晩に其家の前・・・ 内田魯庵 「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」
・・・「昨日は酒屋の御用が来て、こちらさまのに善く似た犬の首玉に児供が縄を縛り付けて引摺って行くのを壱岐殿坂で見掛けたといったから、直ぐ飛んでって其処ら中を訊いて見たが、皆くれ解らなかった。児供に虐め殺された乎、犬殺しの手に掛ったか、どの道モウい・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
・・・三十年前にはよくTMと一緒に本郷、神田、下谷と連立って歩いた。壱岐殿坂教会で海老名弾正の説教を聞いた。池の端のミルクホールで物質とエネルギーと神とを論じた。 TMの家の前が加賀様の盲長屋である。震災に焼けなかったお蔭で、ぼろぼろにはなっ・・・ 寺田寅彦 「病院風景」
出典:青空文庫