・・・ 今は竹の皮づつみにして汽車の窓に売子出でて旅客に鬻ぐ、不思議の商標つけたるが彼の何某屋なり。上品らしく気取りて白餡小さくしたるものは何の風情もなし、すきとしたる黒餡の餅、形も大に趣あるなり。 夏の水 松任より柏・・・ 泉鏡花 「一景話題」
・・・手甲、脚絆、たすきがけで、頭に白い手ぬぐいをかぶった村嬢の売り子も、このウルトラモダーンな現代女性の横行する銀座で見ると、まるで星の世界から天降った天津乙女のように美しく見られた。 子供の時分に、郷里の門前を流れる川が城山のふもとで急に・・・ 寺田寅彦 「試験管」
・・・通りの片側には八百屋物を載せた小車が並んでいます。売り子は多くばあさんで黒い頬冠り黒い肩掛けをしています。市庁の前で馬車を降りてノートルダームまで渦巻の風の中を泳いで行きました。どこでも名高いお寺といえばみんな一ぺん煤でいぶしていぶし上げて・・・ 寺田寅彦 「先生への通信」
・・・ドーム前の露店で絵はがきやアルバムを買った。売り子は美しい若い女で軽快な仏語をさえずっていた。 十 ミラノからベルリン五月五日 七時二十分発ベルリン行きの D-Zug に乗る。うっかりバーゼル止まりの客車へ乗・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
・・・ これらの「知識の売子」にはそう大したえらい本当の学者は入用はないのみならず、かえって甚だ厄介でかつ不都合であろう。この選定はむしろ百貨店の支配人に一任すればよい。 某百貨店の入口の噴水の傍の椰子の葉蔭のベンチに腰かけてうっとりして・・・ 寺田寅彦 「夏」
・・・ 後に待っている人のことなどはまるで考えないで、自分さえ切符を買ってしまえばそれでいいという紳士淑女達のことであるから、切符売子と色々押し問答をした上に、必ず大きな札を出しておつりを勘定させる、その上に押し合いへし合いお互いに運動を妨害・・・ 寺田寅彦 「マーカス・ショーとレビュー式教育」
・・・のぼせて商売をしている女売子のキラキラした眼が、小舎の暗い屋根、群集の真黒い頭の波の間に輝やいている。樺の木箱、蝋石細工、指環、頸飾、インク・スタンド。 成程これは余分なルーブルをポケットに入れている人間にとっては油断ならぬ空間的、時間・・・ 宮本百合子 「新しきシベリアを横切る」
・・・又朝から夕方まで人工光線で生活するデパートの女売子などは、習慣的に自然色からひきはなされているのであるが、心理学的な調査ではそれは、どう現れて来るものであろうか。 音楽にしてもそうである。鉄工場に働いたり、あるいは酸素打鋲器をあつかって・・・ 宮本百合子 「芸術が必要とする科学」
・・・大抵村のソヴェトに働いている者だとか、教師だとか、本屋の売子だとか、そういう人々が面白いぞ、とか、いいぞとか云うものを、そのまま読む癖がある。 トポーロフが注意ぶかく観察すると、そういう村の知識分子は決していつも正しい文学批評の根底をも・・・ 宮本百合子 「五ヵ年計画とソヴェトの芸術」
・・・ 私は、新聞売子が広告をはりつけた燈柱の下に立って、暫く四辺を見た。 時によると、さっさと車道を横切って彼方側、裁縫店の大飾窓の前に行く。或る日は、降りた側で左か右に方向をきめる。それは、私が其処に現れた時候と時間とによった。私は、・・・ 宮本百合子 「小景」
出典:青空文庫