・・・ 僕等は夕飯をすませた後、ちょうど風の落ちたのを幸い、海岸へ散歩に出かけることにした。太陽はとうに沈んでいた。しかしまだあたりは明るかった。僕等は低い松の生えた砂丘の斜面に腰をおろし、海雀の二三羽飛んでいるのを見ながら、いろいろのことを・・・ 芥川竜之介 「彼」
島木さんに最後に会ったのは確か今年の正月である。僕はその日の夕飯を斎藤さんの御馳走になり、六韜三略の話だの早発性痴呆の話だのをした。御馳走になった場所は外でもない。東京駅前の花月である。それから又斎藤さんと割り合にすいた省・・・ 芥川竜之介 「島木赤彦氏」
・・・「お前は夕飯はどうした」 そう突然父が尋ねた。監督はいつものとおり無表情に見える声で、「いえなに……」 と曖昧に答えた。父は蒲団の左角にひきつけてある懐中道具の中から、重そうな金時計を取りあげて、眼を細めながら遠くに離して時・・・ 有島武郎 「親子」
・・・妻は独りで淋しく夕飯を食った。仁右衛門は一片の銀貨を腹がけの丼に入れて見たり、出して見たり、親指で空に弾き上げたりしながら市街地の方に出懸けて行った。 九時――九時といえば農場では夜更けだ――を過ぎてから仁右衛門はいい酒機嫌で突然佐藤の・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・ 野だも山だも分ンねえ、ぼっとした海の中で、晩めに夕飯を食ったあとでよ。 昼間ッからの霧雨がしとしと降りになって来たで、皆胴の間へもぐってな、そん時に千太どんが漕がしっけえ。 急に、おお寒い、おお寒い、風邪揚句だ不精しょう。誰ぞ・・・ 泉鏡花 「海異記」
・・・俺はただ屋の棟で、例の夕飯を稼いでいたのだ。処で艶麗な、奥方とか、それ、人間界で言うものが、虹の目だ、虹の目だ、と云うものを(嘴この黒い、鼻の先へひけらかした。この節、肉どころか、血どころか、贅沢な目玉などはついに賞翫した験がない。鳳凰の髄・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・ 四 夕飯が終えるとお祖母さんは風気だとかで寝てしもた。背戸山の竹に雨の音がする。しずくの音がしとしとと聞こえる。その竹山ごしに隣のお袋の声だ。「となりの旦那あ、湯があきましたよ」「はあえ――」 おはまが・・・ 伊藤左千夫 「隣の嫁」
・・・家の人達は今夕飯最中で盛んに話が湧いているらしい。庭場の雨戸は未だ開いたなりに月が軒口までさし込んでいる。僕が咳払を一ツやって庭場へ這入ると、台所の話はにわかに止んでしまった。民子は指の先で僕の肩を撞いた。僕も承知しているのだ、今御膳会議で・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 僕はきまりが悪い気がしたが、お袋にうぶな奴と見抜かれるのも不本意であったから、そ知らぬふりに見せかけ、「お父さんにもお目にかかっておきたいから、夕飯を向うのうなぎ屋へ御案内致しましょうか? おッ母さんも一緒に来て下さい」「それ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・或る時一緒に散策して某々知人を番町に尋ねた帰るさに靖国神社近くで夕景となったから、何処かで夕飯を喰おうというと、この近辺には喰うような家がないといって容易に承知しない。それから馬場を通り抜け、九段を下りて神保町をブラブラし、時刻は最う八時を・・・ 内田魯庵 「二葉亭余談」
出典:青空文庫