・・・行李一つと夜具だけ上野までチッキをつけて、一昨日ほとんどだしぬけに嫂さんところへ行ってすぐ夜汽車で来るつもりだったんでしょうがね、夜汽車は都合がわるいと止められたんで、一昨日の晩は嫂さんところへ泊って、昨日青森まで嫂さんに送られて一時の急行・・・ 葛西善蔵 「父の出郷」
・・・同じ切れ地で夜具ができていたのだった。――日なたの匂いを立てながら縞目の古りた座布団は膨れはじめた。彼は眼を瞠った。どうしたのだ。まるで覚えがない。何という縞目だ。――そして何という旅情…… 以前住んだ町を歩いて見る日がとうとうやっ・・・ 梶井基次郎 「過古」
・・・そんな彼らがわれわれの気もつかないような夜具の上などを、いじけ衰えた姿で匍っているのである。 冬から早春にかけて、人は一度ならずそんな蠅を見たにちがいない。それが冬の蠅である。私はいま、この冬私の部屋に棲んでいた彼らから一篇の小説を書こ・・・ 梶井基次郎 「冬の蠅」
・・・ただ汚ないばかりでなく、見るからして彼ははなはだやつれていた、思うに昼は街の塵に吹き立てられ、夜は木賃宿の隅に垢じみた夜具を被るのであろう。容貌は長い方で、鼻も高く眉毛も濃く、額は櫛を加えたこともない蓬々とした髪で半ばおおわれているが、見た・・・ 国木田独歩 「女難」
・・・と村長は夜具から頭ばかり出して話している。大津の婚礼に招ねかれたが風邪をひいて出ることが出来ず、寝ていたのである。「どういう理由で急に上京したのだろう?」「そんな理由は手紙に書いてなかったが、大概想像が着くじゃアないか」と村長は微笑・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・と夜具を奪りにかかる女房は、身幹の少し高過ぎると、眼の廻りの薄黒く顔の色一体に冴えぬとは難なれど、面長にて眼鼻立あしからず、粧り立てなば粋に見ゆべき三十前のまんざらでなき女なり。 今まで機嫌よかりし亭主は忽然として腹立声に、「よ・・・ 幸田露伴 「貧乏」
・・・まだ荒壁が塗りかけになって建て具も張ってない家に無理無体に家財を持ち込んで、座敷のまん中に築いた夜具や箪笥の胸壁の中で飯を食っている若夫婦が目についたりした。 新開地を追うて来て新たに店を構えた仕出し屋の主人が店先に頬杖を突いて行儀悪く・・・ 寺田寅彦 「写生紀行」
・・・とうとう二階の押し入れの襖を食い破って、来客用に備えてあるいちばんいい夜具に大きな穴をあけているのを発見したりした。もう子ねずみさえもかからなくなってしまった捕鼠器は、ふたの落ちたまま台所の戸棚の上にほうり上げられて、鈎につるした薩摩揚げは・・・ 寺田寅彦 「ねずみと猫」
・・・ 彼は夜具を、スッポリ頭から冠って、眼を閉じた。いろんな事が頭をひっかき廻した。 あのときも……。 四五人のスキャップを雇い込んで、××町の交番横に、トラックを待たせておいて、モ一人の家へ行こうと、屈った路次で、フト、二人の少年・・・ 徳永直 「眼」
・・・まず、忍び逢いの小座敷には、刎返した重い夜具へ背をよせかけるように、そして立膝した長襦袢の膝の上か、あるいはまた船底枕の横腹に懐中鏡を立掛けて、かかる場合に用意する黄楊の小櫛を取って先ず二、三度、枕のとがなる鬢の後毛を掻き上げた後は、捻るよ・・・ 永井荷風 「妾宅」
出典:青空文庫