・・・私はある事情から重に創作の方をやる考えでありますから、向後この方面に向って、どのくらいの貢献ができるか知れませんが、もし篤実な学者があって、鋭意にそちらを開拓して行かれたならば、学界はこの人のために大いなる利益を享けるに相違なかろうと確信し・・・ 夏目漱石 「文芸の哲学的基礎」
為事室。建築はアンピイル式。背景の右と左とに大いなる窓あり。真中に硝子の扉ありてバルコンに出づる口となりおる。バルコンよりは木の階段にて庭に降るるようなりおる。左には広き開き戸あり。右にも同じ戸ありて寝間に通じ、この分は緑の天鵞絨の・・・ 著:ホーフマンスタールフーゴー・フォン 訳:森鴎外 「痴人と死と」
大いなるものの悲しみ! 偉大なるものの歎き! すべての時代に現われた大いなるものは、押並べて其の輝やかしい面を愁の涙に曇らして居る。 我々及び我々の背後に永劫の未来に瞑る幾多数うべくもあらぬ人の群は、皆大いなる・・・ 宮本百合子 「大いなるもの」
・・・ 夢の如く生れて音もなく消え去った私の妹の短かい、何の足跡も残さない一生涯を見るにつけ、知らず知らずの間に踏みつけて行く生の足蹟がやがて亡き後にいかばかり大いなる力になって現われるかと云う事を思う。 育ちきれずに逝った児の力をもあわ・・・ 宮本百合子 「悲しめる心」
・・・ 庄兵衛はいかに桁を違えて考えてみても、ここに彼と我れとの間に、大いなる懸隔のあることを知った。自分の扶持米で立ててゆく暮らしは、おりおり足らぬことがあるにしても、たいてい出納が合っている。手いっぱいの生活である。しかるにそこに満足を覚・・・ 森鴎外 「高瀬舟」
・・・女の生涯に取って、報酬を予期しない看護婦になると云うこと、しかもその看護を自己の生活の唯一の内容としていると云うこと程、大いなる犠牲は又とあるまい。それも夫婦の義務の鎖に繋がれていてする、イブセンの謂う幽霊に祟られていてすると云うなら、別問・・・ 森鴎外 「百物語」
・・・それが彼の残した大いなる苦悶であった。此の潜める生来の彼の高貴な稟性は、終に彼の文学から我が文学史上に於て曾て何者も現し得なかった智的感覚を初めて高く光耀させ得た事実をわれわれは発見する。かくしてそれは、清少納言の官能的表徴よりも遥に優れた・・・ 横光利一 「新感覚論」
・・・しかし我々は、彼らの手からその武器を奪う大いなる酒神の姿を何処で見たか。再び、彼らはその平和の殿堂で、その胎んだ醜き伝統の種子のために開戦するであろう。彼らの武器は、彼らのとるべき戦法は、彼らの戦闘の造った文化のために益々巧妙になるであろう・・・ 横光利一 「黙示のページ」
・・・そのひとり子をこの世に送り、彼を死よりよみがえらせて明らかな証を我々に示したこの大いなる神を信じないか。云々。 ――このパウロの熱心は、とにかく千数百年の後まで権威を持ち続けた。たとえ偶像礼拝の傾向が聖母崇拝や使徒崇拝などの形で生き残っ・・・ 和辻哲郎 「『偶像再興』序言」
・・・自分はそれによって大いなる統一を得たつもりであった。しかしやがてまた苦痛は始まった。そうしてそれが追々強まって行くとともに、ちょうど夜明けのように、また新らしい転機が迫って来た。 最初の光は、自己の価値が問題になったことである。偉大なる・・・ 和辻哲郎 「自己の肯定と否定と」
出典:青空文庫