・・・マドレエヌ わたくしにお逢いになりましても、そう大して更けたようには御覧なさいませんでしょうと存じますの。年の割に顔も姿も変らないと、皆がそう申しますの。これで体は大切にいたして、更けない用心をいたしていますの。でも夫の心は繋ぎ留め・・・ 著:プレヴォーマルセル 訳:森鴎外 「田舎」
・・・耕一が大して怒ったでもなしに斯う云いました。「ふん、そうかい、誰だって同じことだな。さあ僕は今日もいそがしい。もうさよなら。」 又三郎のかたちはもうみんなの前にありませんでした。みんなはばらばら丘をおりました。 九月十日・・・ 宮沢賢治 「風野又三郎」
・・・第二のは、チーズやバターやミルク、それから卵などならば、まあものの命をとるというわけではないから、さし支えない、また大してからだに毒になるまいというので、割合穏健な考であります。第三は私たちもこの中でありますが、いくら物の命をとらない、自分・・・ 宮沢賢治 「ビジテリアン大祭」
・・・いい意味での女らしさとか、悪い意味での女らしさということが今日では大して怪しみもせずにいわれ、私たち自身やはりその言葉で自分を判断しようともしている。つまり、その観念の発生は女の内部にかかわりなく外から支配的な便宜に応じてこしらえられたもの・・・ 宮本百合子 「新しい船出」
・・・そして、忙しくて乏しい歳末の喧騒にまぎれて、この事件は忘れられ、今日、私たちは、その事件のおこった当日と大して変りない暴力的交通状態の下に暮しているのである。 新聞記事の出た前後、検事局の態度にあきたりない投書が、どっさりあった。この一・・・ 宮本百合子 「石を投ぐるもの」
・・・十一時四十分上野発仙台行の列車で大して混んでいず、もっと後ろに沢山ゆとりはあるのだ。婆さんの連れは然し、「戸に近い方がいいものね、ばあや、洋傘置いちゃうといいわ、いそいでお座りよ。上へのっかっちゃってさ」 窓から覗き込んで指図する。・・・ 宮本百合子 「一隅」
・・・――木浦なんぞは入口だから、大して内地とは違うまい」 一太はうっかりした風で窓から外を見ていたが珍しがって急に大声を出した。「ここんち竹藪があるんだねえ、おっかちゃん、御覧ほら、向うにもあるよ。この辺竹藪が多いんだね」「ああ」・・・ 宮本百合子 「一太と母」
・・・ 見ると、稍々灰色を帯びた二つの瞳は大して美麗ではないが、いかにもむくむくした体つきが何とも云えず愛らしい。頭、耳がやはり波を打ったチョコレート色の毛で被われ、鼻柱にかけて、白とぶちになって居る。今に大きくなり、性質も悠暢として居そ・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
・・・肝心の漁師の宰領は、為事は当ったが、金は大して儲けなかったのに、内では酒なら幾らでも売れると云う所へ持ち込んだのだから、旨く行ったのだ。」こう云った一人の客は大ぶ酒が利いて、話の途中で、折々舌の運転が悪くなっている。渋紙のような顔に、胡麻塩・・・ 森鴎外 「鼠坂」
・・・彼女の父アレサンドロは役者としては大して成功しなかったが、絵画に対しては猛烈な愛情を持っていた。 エレオノラの初舞台は一八六一二年、彼女が四歳の時であった。十四になった誕生日には初めてジュリアをつとめたが、そのころは見すぼらしい、弱々し・・・ 和辻哲郎 「エレオノラ・デュウゼ」
出典:青空文庫