・・・田はその昔、ある大名の下屋敷の池であったのを埋めたのでしょう、まわりは築山らしいのがいくつか凸起しているので、雁にはよき隠れ場であるので、そのころ毎晩のように一群れの雁がおりたものです。 恋しき父母兄弟に離れ、はるばると都に来て、燃ゆる・・・ 国木田独歩 「あの時分」
・・・徳川時代、諸大名の御前で細工事ご覧に入れた際、一度でも何の某があやまちをしてご不興を蒙ったなどということは聞いたことが無い。君はどう思う。わかりますか。」 これには若崎はまた驚かされた。「一度もあやまちは無かった!」「さればサ。・・・ 幸田露伴 「鵞鳥」
・・・いずれにしても大名釣といわれるだけに、ケイズ釣は如何にも贅沢に行われたものです。 ところで釣の味はそれでいいのですが、やはり釣は根が魚を獲るということにあるものですから、余り釣れないと遊びの世界も狭くなります。或日のこと、ちっとも釣れま・・・ 幸田露伴 「幻談」
・・・上は大名たちより、下は有福の町人に至るまで、競って高慢税を払おうとした。税率は人が寄ってたかって競り上げた。北野の大茶の湯なんて、馬鹿気たことでもなく、不風流の事でもないか知らぬが、一方から観れば天下を茶の煙りに巻いて、大煽りに煽ったもので・・・ 幸田露伴 「骨董」
・・・お大名から呼びに来ても往きません。贔屓のお屋敷から迎いを受けても参りません。其の癖随分贅沢を致しますから段々貧に迫りますので、御新造が心配をいたします。なれども当人は平気で、口の内で謡をうたい、或はふいと床から起上って足踏をいたして、ぐるり・・・ 著:三遊亭円朝 校訂:鈴木行三 「梅若七兵衞」
・・・これは、むかし、さるお大名のお庭であった。池には鯉と緋鯉とすっぽんがいる。五六年まえまでには、ひとつがいの鶴が遊んでいた。いまでも、この草むらには蛇がいる。雁や野鴨の渡り鳥も、この池でその羽を休める。庭園は、ほんとうは二百坪にも足りないひろ・・・ 太宰治 「逆行」
・・・利休は、ほとんど諸侯をしのぐ実力を持っていたし、また、当時のまあインテリ大名とでもいうべきものは、無学の太閤より風雅の利休を慕っていたのだ。だから太閤も、やきもきせざるを得なかったのだ。」 男ってへんなものだ、と私は黙って草をむしりなが・・・ 太宰治 「庭」
・・・昔とちがって今では貧民の子でも旧大名のお姫様のお供をして歩かれる。しかし日常生活の程度の相違は昔と同じか、むしろいっそう著しいであろう。子供らは得意になって殿様がたのような気持ちになってクラブをふるうているのである。リンクの入り口には「危険・・・ 寺田寅彦 「軽井沢」
・・・ 昔の大名それの君、すれちがいし船の早さに驚いてあれは何船と問い給えば御附きの人々かしこまりて、あれはちがい船なればかく早くこそと御答え申せば、さらばそのちがい船を造れと仰せられし勿体なさと父上の話に皆々またどっと笑う間に船は新田堤にか・・・ 寺田寅彦 「東上記」
・・・箱根観光博覧会の大名行列だそうである。挟箱や鳥毛の槍を押し立てて舞踊しながら練り歩く百年前の姿をした「サムライ日本」の行進のために「モダーン日本」の自由主義を代表する自動車の流れが堰き留められてしまったのである。青年団の人達と警官の扱いでよ・・・ 寺田寅彦 「箱根熱海バス紀行」
出典:青空文庫