・・・その頃婦人作家が擡頭して大塚楠緒子とかいろいろな人がいて、やはり芸術的な力では一応の作家だったけれども、当時の社会ではまだ文化が低かったから、それでもって食べて行くことはできませんでした。今日古い雑誌を見ますと、当時の婦人作家を集めて『文芸・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・――ほら、私たちが一緒になって間もなく、大塚の公園へ行ったとき、何かの工事で、やっぱり大きな石がちらかっているところを上から月が照していたことがあったでしょう?」 多喜子は、こんな夜を参吉と歩いて行く心持を足から、眼から、円い輪廓を示し・・・ 宮本百合子 「二人いるとき」
・・・明治初期の婦人作家大塚楠緒子の詩「お百度詣」は、決して太平洋戦争の日、お百度詣りをしていた母や妻たちに示されなかった。与謝野晶子の「君死にたまふことなかれ」と戦争の野蛮に抗議した詩は、文学史の上にさえ全文を現わさなかった。日露戦争当時、晶子・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・いきなり、大塚いねと云う女がいる筈ですがって、私の顔をじろじろ見るんですもの――」「――逃げたんでしょうか」「さあ……」 神さんは、語尾を引っぱったまま再び注意を自分の頭の上に向けた。 すると、二階の襖が開き、「じゃ、そ・・・ 宮本百合子 「帆」
・・・学資欠乏し、郷里の大塚氏より十ヵ月間恩借。 一九一五年。大学卒業。井上正夫を浅草に出演せしむる橋渡しをする。同一座の作者となったが、二月目に意見の衝突をして飛び出し、その暮、秋月、川上、喜多村一座の作者となり、舞台監督をやる。 一九・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ 殉死を願って許された十八人は寺本八左衛門直次、大塚喜兵衛種次、内藤長十郎元続、太田小十郎正信、原田十次郎之直、宗像加兵衛景定、同吉太夫景好、橋谷市蔵重次、井原十三郎吉正、田中意徳、本庄喜助重正、伊藤太左衛門方高、右田因幡統安、野田喜兵・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・自分の学生時代に最も深い感銘を受けたものは、この講義と大塚先生の「最近文芸史」とである。大塚先生の講義はその熱烈な好学心をひしひしと我々の胸に感じさせ、我々の学問への熱情を知らず知らずに煽り立てるようなものであったが、それに対して岡倉先生の・・・ 和辻哲郎 「岡倉先生の思い出」
・・・ この書の成るに当たって、永い間本を借してくだすった井上先生、大塚先生、小山内薫氏、本を送ってくだすった原太三郎氏、及び本の捜索に力を借してくだすった阿部次郎氏、岩波茂雄氏に厚くお礼を申し上げる。 大正四年八月鵠沼にて・・・ 和辻哲郎 「「ゼエレン・キェルケゴオル」序」
出典:青空文庫