・・・扇子店の真上の鴨居に、当夜の番組が大字で出ている。私が一わたり読み取ったのは、唯今の塀下ではない、ここでの事である。合せて五番。中に能の仕舞もまじって、序からざっと覚えてはいるが――狸の口上らしくなるから一々は記すまい。必要なのだけを言おう・・・ 泉鏡花 「木の子説法」
・・・という大字の扁額を揮ってくれた。こういう大官や名家の折紙が附いたので益々人気を湧かして、浅草の西洋覗眼鏡を見ないものは文明開化人でないようにいわれ、我も我もと毎日見物の山をなして椿岳は一挙に三千円から儲けたそうだ。 今なら三千円ぐらいは・・・ 内田魯庵 「淡島椿岳」
・・・鏡の曇りたる故ならめと謬り思ひて、俗に本玉とかいふ水晶製の眼鏡の価貴きをも厭はで此彼と多く購ひ求めて掛替々々凌ぐものから(中略、去歳庚子夏に至りては只朦々朧々として細字を書く事得ならねば其稿本を五行の大字にしつ、其も手さぐりにて去年の秋九月・・・ 内田魯庵 「八犬伝談余」
・・・ 彼の云うところによると、市に大字桑野として編入されることは、朝鮮と同様、市の多勢に実権を握られて居る以上已を得ないことでありましょう。然し、已を得ないと云うような言葉はつまり、弱者の云うことで――実際、此のサクバクたる農村が、郡山と同・・・ 宮本百合子 「日記・書簡」
・・・川添家は同じ清武村の大字今泉、小字岡にある翁の夫人の里方で、そこに仲平の従妹が二人ある。妹娘の佐代は十六で、三十男の仲平がよめとしては若過ぎる。それに器量よしという評判の子で、若者どもの間では「岡の小町」と呼んでいるそうである。どうも仲平と・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫