・・・七月の二十八日朝に甲府を出発して、大月附近で警戒警報、午後二時半頃上野駅に着き、すぐ長い列の中にはいって、八時間待ち、午後十時十分発の奥羽線まわり青森行きに乗ろうとしたが、折あしく改札直前に警報が出て構内は一瞬のうちに真暗になり、もう列も順・・・ 太宰治 「十五年間」
・・・八王子あたりまでは、よく晴れていたのだが、大月で、富士吉田行の電車に乗り換えてからは、もはや大豪雨であった。ぎっしり互いに身動きの出来ぬほどに乗り込んだ登山者あるいは遊覧の男女の客は、口々に、わあ、ひどい、これあ困ったと豪雨に対して不平を並・・・ 太宰治 「服装に就いて」
・・・下吉田町の娘さん達は、たいてい谷村か大月の女学校へはいる。地理的に近いからだ。甲府は遠いので通学には困難である。けれども、町の所謂ものもちは、そのお嬢さん達を甲府市の女学校にいれたがる。理由のない見識であるが、すこしでも大きい学校に子供をい・・・ 太宰治 「律子と貞子」
・・・知義さん、須山さん[自注20]、大月さん[自注21]等肖像をかきました。二十五日に築地で劇団葬[自注22]にきまりました。小山内薫以来のことです。鑑子さんは実にこれ迄努力をして来て、これからもしっかりやってゆくでしょうが、私はこの二三年の間・・・ 宮本百合子 「獄中への手紙」
・・・『関西文学』の大月桓志氏、大元清二郎氏などの小説を読むと、そのことがつよく感じられる。大阪という近代都市の勤労大衆の生活は豊富な現実の内容をもっていて、例えば大月氏の小説に「性格」とは、おのずから違った題材の可能を語っているのではなかろうか・・・ 宮本百合子 「新年号の『文学評論』その他」
出典:青空文庫