・・・人情湖海空迢※も明和安永の頃不忍池のほとりに居を卜した。大田南畝が壮時劉龍門に従って詩を学んだことも、既にわたくしは葷斎漫筆なる鄙稿の中に記述した。 南郭龍門の二家は不忍池の文字の雅馴ならざるを嫌って其作中には之を篠池と書している。星巌・・・ 永井荷風 「上野」
・・・そしてその文字は楷書であるが何となく大田南畝の筆らしく思われたので、傍の溜り水にハンケチを濡し、石の面に選挙侯補者の広告や何かの幾枚となく貼ってあるのを洗い落して見ると、案の定、蜀山人の筆で葛羅の井戸のいわれがしるされていた。 これは後・・・ 永井荷風 「葛飾土産」
・・・後年に至って、わたくしは大田南畝がその子淑を伴い御薬園の梅花を見て聯句を作った文をよんだ時、小田原城址の落梅を見たこの日の事を思出して言知れぬ興味を覚えた。 父は病院に立戻ると間もなく、その日もまだ暮れかけぬ中、急いで東京に帰られた。わ・・・ 永井荷風 「十六、七のころ」
・・・ ヒロシマで原爆の被害を蒙った大田洋子の「屍の街」は戦争の残酷さを刻印するルポルタージュである。芝木好子、大原富枝そのほか幾人かのひとがそれぞれ婦人作家としての短くない経験にたって、明日に伸びようとしているのであるが、婦人の生活と文学の・・・ 宮本百合子 「婦人作家」
・・・ では矢田津世子とか大田洋子、堀寿子とか云うような小ブルジョア階級の婦人作家はどうかと言えば、彼女等は苦しい小ブル生活をしている。そして彼女等の生活は小ブル階級の一般的恐慌と密接に結びついて書くもので食べて行かなければならなくなっていま・・・ 宮本百合子 「婦人作家の「不振」とその社会的原因」
出典:青空文庫