・・・会場は支那の村落に多い、野天の戯台を応用した、急拵の舞台の前に、天幕を張り渡したに過ぎなかった。が、その蓆敷の会場には、もう一時の定刻前に、大勢の兵卒が集っていた。この薄汚いカアキイ服に、銃剣を下げた兵卒の群は、ほとんど看客と呼ぶのさえも、・・・ 芥川竜之介 「将軍」
・・・一行は穂高山と槍ヶ岳との間に途を失い、かつ過日の暴風雨に天幕糧食等を奪われたため、ほとんど死を覚悟していた。然るにどこからか黒犬が一匹、一行のさまよっていた渓谷に現れ、あたかも案内をするように、先へ立って歩き出した。一行はこの犬の後に従い、・・・ 芥川竜之介 「白」
・・・ 又夏目先生の御葬式の時、青山斎場の門前の天幕に、受附を勤めし事ありしが、霜降の外套に中折帽をかぶりし人、わが前へ名刺をさし出したり。その人の顔の立派なる事、神彩ありとも云うべきか、滅多に世の中にある顔ならず。名刺を見れば森林太郎とあり・・・ 芥川竜之介 「森先生」
・・・(もとに立戻りて、また薄の中より、このたびは一領の天幕を引出し、卓子を蔽うて建廻す。三羽の烏、左右よりこれを手伝う。天幕の裡お楽みだわね。(天幕を背後にして正面に立つ。三羽の烏、その両方に彳 もう、すっかり日が暮れた。(時に、はじめてフ・・・ 泉鏡花 「紅玉」
・・・はてな、これは天幕の内ではない、何で俺は此様な処へ出て来たのかと身動をしてみると、足の痛さは骨に応えるほど! 何さまこれは負傷したのに相違ないが、それにしても重傷か擦創かと、傷所へ手を遣ってみれば、右も左もべッとりとした血。触れば益々痛・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・こんなところで天幕生活をしたらさぞ愉快であろうといったら、運転手が、しかし水が一滴もありませんという。金のある人は、寝台や台所のついたカミオンに乗って出掛けたらいいだろうと思われるが、まだ日本にはそういう流行はないようである。 鬼押出熔・・・ 寺田寅彦 「浅間山麓より」
上野の近くに人を尋ねたついでに、帝国美術院の展覧会を見に行った。久し振りの好い秋日和で、澄み切った日光の中に桜の葉が散っていた。 会場の前の道路の真中に大きな天幕張りが出来かかっている。何かの式場になるらしい。柱などを・・・ 寺田寅彦 「ある日の経験」
・・・今に雨が降り出すと困るがと思っていると、自分がいつの間にかその船に乗って天幕を張ろうとしている。それが自分のようでもあり、友人のようでもある。非常に淋しい気がした。池が消えて夜の街の広場が現われる。空に一本水平に綱が張ってあるその上を玩具の・・・ 寺田寅彦 「御返事(石原純君へ)」
・・・岸べに天幕があって駱駝が二三匹いたり、アフリカ式の村落に野羊がはねていたりした。みぎわには蘆のようなものがはえている所もあった。砂漠にもみぎわにも風の作った砂波がみごとにできていたり、草のはえた所だけが風蝕を受けないために土饅頭になっている・・・ 寺田寅彦 「旅日記から(明治四十二年)」
天幕の破れ目から見ゆる砂漠の空の星、駱駝の鈴の音がする。背戸の田圃のぬかるみに映る星、籾磨歌が聞える。甲板に立って帆柱の尖に仰ぐ星、船室で誰やらが欠びをする。 寺田寅彦 「星」
出典:青空文庫