・・・(彼はそれから半年ほど後、天然痘に罹僕等は明るい瑠璃燈の下にウヰスキイ炭酸を前にしたまま、左右のテエブルに群った大勢の男女を眺めていた。彼等は二三人の支那人を除けば、大抵は亜米利加人か露西亜人だった。が、その中に青磁色のガウンをひっかけた女・・・ 芥川竜之介 「彼 第二」
・・・ 年に二千人と言えば全国的に見て僅少かもしれないが、それでも天然痘や猖紅熱で死ぬ人の数よりは多い。また年二億円の損失は日本の世帯から見て非常に大きいとは言われないかもしれないが、それでも輸入超過年額の幾割かに当たり、国防費の何十プロセン・・・ 寺田寅彦 「函館の大火について」
・・・ところが、Y、昨晩床に入る時、大分工合を悪がった。天然痘流行の為、私達は念の為大分の臼杵で種痘をした。Y、十四位のとき種痘したぎりで、どうも全感らしく、崇福寺の裏の高い段々を降る時など、気分が悪くなったらしかった。今朝、発熱し動かれない。私・・・ 宮本百合子 「長崎の一瞥」
・・・二人ながら進まない気持がある。天然痘がひどいのが一つ、小杉未醒氏の「大雅堂」によって、幾分自性寺の所蔵品に対する考えの変ったのが第二。「先刻地図を見たら、南を廻って長崎まで行くのも、小倉の方から行くのも大して違わないらしい。――折角来たんだ・・・ 宮本百合子 「長崎の印象」
・・・幼児誘拐も報ぜられている。天然痘、発疹チブスの危険も全市にひろがろうとしている。 これらすべての危期が、愛する日本を覆い、私たちの時々刻々を脅かしているのである。 四月十日の総選挙をめざして、各政党が、どう党費をまかなっているか、「・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫