・・・先頃天野弥左衛門様が、沈勇だと御賞美になったのも、至極道理な事でございます。」「いや、それほど何も、大した事ではございません。」内蔵助は、不承不承に答えた。 その人に傲らない態度が、伝右衛門にとっては、物足りないと同時に、一層の奥床・・・ 芥川竜之介 「或日の大石内蔵助」
・・・早稲田大学は本と高田、天野、坪内のトライアンビレートを以て成立した。三君各々相譲らざる功労がある。シカシ世間が早稲田を認めるのは、政治科及び法律科が沢山の新聞記者や代議士や実業家を輩出したにも関らず、政治科でも法律科でもなくて文学科である。・・・ 内田魯庵 「明治の文学の開拓者」
・・・文相天野貞祐が、各戸に日の丸の旗をかかげさせ、「君が代は千代に八千代にさざれ石の、巖となりて苔のむすまで」と子供の科学では解釈のつかない歌を歌わせたとして、ピチピチと生きてはずんで刻々の現実をよいまま、わるいままに映している子供の心に、何か・・・ 宮本百合子 「修身」
・・・ 青少年の悪化が問題になり、その角度から十代が注目され、文相天野貞祐は、日の丸をかかげること、君が代を唱うこと、修身を復活させようとしている。そして、日本の全人民が、いかなるものに対して犯罪をおかそうとしていると不安なのか、全住民の指紋・・・ 宮本百合子 「戦争はわたしたちからすべてを奪う」
・・・「最初申しあげた通りこの事件がいわゆる普通の刑事事件と違うということをもっとも端的にあらわす言葉として、わたしを調べられたところの天野検事はこういうことをいわれている。これはちょうど私の起訴が決定する八月八日の日であります。」「私をいままで・・・ 宮本百合子 「それに偽りがないならば」
・・・須磨子は三年前に飫肥へ往ったので、仲平の隠家へは天野家から来た謙助の妻淑子と、前年八月に淑子の生んだ千菊とがついて来た。産後体の悪かった淑子は、隠家に来てから六箇月目に、十九で亡くなった。下総にいた夫には逢わずに死んだのである。 仲平は・・・ 森鴎外 「安井夫人」
出典:青空文庫