・・・明治以来、満州や中国へいくたびも侵入して、さまざまの残虐行為を行いながら、海をわたって日本へかえってくれば、あの土地で行った悪虐ぶりは知らない顔で一等国になったと威張っていた日本軍閥――資本主義は、太平洋戦争の拡大された戦場の経験で、はじめ・・・ 宮本百合子 「便乗の図絵」
・・・ 覚えず片手をさし出した。太平洋戦争がはじまる前まで、新交響楽団の定期演奏会は前売切符を会員に送った。その時分にひろ子もよくききにゆき、山沼というその青年も、大抵ききに来ていた。音楽をきいた帰りに、お茶をのみに歩いたりしても、山沼は、或・・・ 宮本百合子 「風知草」
・・・一番ひどい場合は、今から七、八年前になりますか、女の作家が非常にたくさんいろいろの仕事をした時代がありますが、ちょうど太平洋戦争の前の時期で、女の人は一所懸命にいい小説を書きたいという努力からいわゆる婦人作家といわれるものが登場して来ていろ・・・ 宮本百合子 「婦人の創造力」
・・・しかし組織の秘密は守られ、屈服しなかったために、一九四一年十二月九日、太平洋戦争とともに戦争に非協力な共産主義者として投獄されました。一九四二年七月、巣鴨拘置所で熱射病のため危篤に陥ってからのち、一年ほど言語障害と視力障害に苦しみました。視・・・ 宮本百合子 「文学について」
・・・ 最近の十数年間、特に太平洋戦争がはじまってからの五年間にわたしたちの経験した辛酸の内容をつまびらかに観察すれば、最後のあがきにおいて以上の諸関係がどんな程度にまで亢進し、ついに破局したか、明瞭である。 日本の社会心理の最底辺にとっ・・・ 宮本百合子 「平和への荷役」
・・・は一九四〇年ごろに書かれたものであった。太平洋戦争にまで拡大されようとしていた寸前で、書籍目録からは、多くの貴重な本の名が省かれなければならなかった。こんにちエンゲルス「家族・私有財産・国家の起源」「空想より科学へ」マルクス「賃労働と資本」・・・ 宮本百合子 「若い婦人のための書棚」
・・・一九四一年十二月、真珠湾の不意打攻撃を以て太平洋戦争に突入した。そして、一九四五年八月十五日無条件降伏を以てこの惨劇を終った。特に太平洋戦争が始まってから、我々日本の人民は、その戦争を大東亜戦争という名で呼ばされた。且つ「聖戦」と言い聞かさ・・・ 宮本百合子 「私たちの建設」
出典:青空文庫