・・・今夜の計略が失敗したことが、――しかしその為に婆さんも死ねば、妙子も無事に取り返せたことが、――運命の力の不思議なことが、やっと遠藤にもわかったのは、この瞬間だったのです。「私が殺したのじゃありません。あの婆さんを殺したのは今夜ここへ来・・・ 芥川竜之介 「アグニの神」
・・・始めの中はわざと負けて見せる博徒の手段に甘々と乗せられて、勢い込んだのが失敗の基で、深入りするほど損をしたが、損をするほど深入りしないではいられなかった。亜麻の収利は疾の昔にけし飛んでいた。それでも馬は金輪際売る気がなかった。剰す所は燕麦が・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・を主張し、いかにそれを失敗してきたかを考えてみれば、だいたいにおいて我々の今後の方向が予測されぬでもない。 けだし、我々明治の青年が、まったくその父兄の手によって造りだされた明治新社会の完成のために有用な人物となるべく教育されてきた間に・・・ 石川啄木 「時代閉塞の現状」
・・・「いやあ、これは、失敗、失敬、失礼。」 甘谷は立続けに叩頭をして、「そこで、おわびに、一つ貴女の顔を剃らして頂きやしょう。いえ、自慢じゃありませんがね、昨夜ッから申す通り、野郎図体は不器用でも、勝奴ぐらいにゃ確に使えます。剃刀を・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
・・・まだ若年な省作が、世間的に失敗した今の境遇を、兄は深く憐んだのである。省作の精神を大抵推知しながら先を越して弟に元気をつけたのである。省作は腹の中で、しみじみ兄の好意を謝した。省作は今が今まで、これほど解ってる人で、きっぱりとした決断力のあ・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・それらを引き入れることが出来る望みがある。失敗はあらかじめ覚悟の上でつれて帰りたいから、それに必要な百五十円ばかりを一時立て換えてもらいたいと頼んだ。その全体において、さきに劇場にいる友人に紹介した時よりも熱がさめていたので、調子が冷静であ・・・ 岩野泡鳴 「耽溺」
・・・コイツ失敗ったと、直ぐ詫びに君の許へ出掛けると今度は君が留守でボンヤリ帰ったようなわけさ。イヤ失敬した、失敬した……」と初めから砕けて一見旧知の如くであった。 その晩はドンナ話をしたか忘れてしまったが、十時頃まで話し込んだ。学生風なのは・・・ 内田魯庵 「鴎外博士の追憶」
・・・あたかもエジプトより遁れ出でしイスラエルの民が一部の失敗のゆえをもってモーセを責めたと同然でありました。しかし神はモーセの祈願を聴きたまいしがごとくにダルガスの心の叫びをも聴きたまいました。黙示は今度は彼に臨まずして彼の子に臨みました、彼の・・・ 内村鑑三 「デンマルク国の話」
・・・私は何も博士の家庭に立入って批評しようとするものではないけれども、若しこれが本当の母であったならば、又本当の母でなくとも愛というものがあったならば、如何に博士が厳重に子供を叱ろうとも、それが為めに失敗する事はなかったであろう。 私はこの・・・ 小川未明 「愛に就ての問題」
・・・ まず成功だったといえるはずだのに、別れぎわの紀代子の命令的な調子にたたきつけられて、失敗だと思った。しかし、失敗ほどこの少年を奮いたたせるものはないのだ。翌日は非常な意気ごみで紀代子の帰りを待ち受けた。前日の軽はずみをいささか後悔して・・・ 織田作之助 「雨」
出典:青空文庫