・・・これがためにこの市の名が起りましたと申します。これが奥の院と申す事で、ええ、貴方様が御意の浦安神社は、その前殿と申す事でござります。御参詣を遊ばしましたか。」「あ、いいえ。」と言ったが、すぐまた稚児の事が胸に浮んだ。それなり一時言葉が途・・・ 泉鏡花 「伯爵の釵」
・・・食べたら古今の珍味だろう、というような話から、修善寺の奥の院の山の独活、これは字も似たり、独鈷うどと称えて形も似ている、仙家の美膳、秋はまた自然薯、いずれも今時の若がえり法などは大俗で及びも着かぬ。早い話が牡丹の花片のひたしもの、芍薬の酢味・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・相当の稼ぎはあっただが、もうやがて、大師様が奥の院から修禅寺へお下りだ。――遠くの方で、ドーンドーンと、御輿の太鼓の音が聞えては、誰もこちとらに構い手はねえよ。庵を上げた見世物の、じゃ、じゃん、じゃんも、音を潜めただからね――橋をこっちへ、・・・ 泉鏡花 「山吹」
・・・ 場所は――前記のは、桂川を上る、大師の奥の院へ行く本道と、渓流を隔てた、川堤の岐路だった。これは新停車場へ向って、ずっと滝の末ともいおう、瀬の下で、大仁通いの街道を傍へ入って、田畝の中を、小路へ幾つか畝りつつ上った途中であった。 ・・・ 泉鏡花 「若菜のうち」
・・・さすがに打収めたるところありて全くのただ人とも見えぬは、これぞ響板の面に見えたる人なるべし。奥の院の窟の案内頼みたき由をいい入るれば、少時待ち玉えとて茶を薦めなどしつ、やおら立上りたり。何するぞと見るに、やがて頸長き槌を手にして檐近く進み寄・・・ 幸田露伴 「知々夫紀行」
・・・愛宕山は七高山の一として修験の大修行場で、本尊は雷神にせよ素盞嗚尊にせよ破旡神にせよ、いずれも暴い神で、この頃は既に勝軍地蔵を本宮とし、奥の院は太郎坊、天狗様の拠所であった。武家の尊崇によって愛宕は最も盛大な時であったろうが、こういう訳で生・・・ 幸田露伴 「魔法修行者」
・・・ 春日山の奥の院から裏道に出ますと、大きな杉並木があります。成長しきったその老杉に対すると何となく総てを知りぬいてる古老にでも逢ったように感じられて、ツイ言葉でも懸けて見たくなるのです。 奈良朝時代の・・・ 宮本百合子 「「奈良」に遊びて」
出典:青空文庫