・・・ するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田さんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて・・・ 宮沢賢治 「風の又三郎」
・・・芥川さんは胴震いをやっと奥歯でくいしめていると、そこへ出て来た主人である文人が握手した手はしんから暖く、芥川さんは部屋の寒さとくらべて大変意外だったそうです。 どうしてそんな手をしてこの火の気のない室に莞爾としていられるのかと、猶も胴ぶ・・・ 宮本百合子 「裏毛皮は無し」
・・・ 四十五六で、白衣の衿の黒いのを着て奥歯に金をつめてどら声でよくしゃべる一人をA氏とよんで居た。 ふざける様にしゃべって下司な笑い様をするのと金ぐさりを巻きつけたのとが神官としての尊さをすっかり落してしまって居た。そして又いかにも小・・・ 宮本百合子 「旅へ出て」
・・・が好い事で又悪い事だなどと云う事もあった。悲劇を産とも云った。 話の緒がフットした事でほぐれるといかにも自由に肇はいろんな事を千世子にはなした。 予期して居た通りいつ来た時でも「あくび」が奥歯の隅でムズムズする様な事がなかった。・・・ 宮本百合子 「千世子(二)」
・・・斯う思って奥歯と奥歯をしっかりとかみ合せた。そうして又歩きつづけた。 一足毎に私の苦しさは段々と勝って来た。私は「何! 何!」斯う云いながら太い太い溜息をついてヒョット御けいちゃんのかおを見た。「アッ」私はそう云ったまんま目をつぶら・・・ 宮本百合子 「芽生」
・・・ 二 馬は一条の枯草を奥歯にひっ掛けたまま、猫背の老いた馭者の姿を捜している。 馭者は宿場の横の饅頭屋の店頭で、将棋を三番さして負け通した。「何に? 文句をいうな。もう一番じゃ。」 すると、廂を脱れた・・・ 横光利一 「蠅」
出典:青空文庫