・・・これは自分達の器械じゃないからと靴磨きが正直に弁解するのを、巧んだゆすりの手と思い込んでますます慄え上がりとうとう二百五十円まで奮発する。そうして社長に売渡した器械の持主があとから出て来たのには実価以上の百円やって喜ばせて帰して、結局百五十・・・ 寺田寅彦 「初冬の日記から」
・・・もしも二十年前に時の政府が奮発して若干の設備を施しそうして今日まで根気よく観測を続けて来ていたのであったら、今頃までにはもうどうにか曲りなりにでも解決がついていたのではないかと想像される。 敢えて農作関係ばかりとは限らず、系統的な海洋観・・・ 寺田寅彦 「新春偶語」
・・・帰りにチップをいつもより奮発して出したら突返された。そうして、自分はここではボーイをしているが日本へ帰れば相当な家もあって、相当な顔のある身分であると云ってひどく腹を立てた。すっかり憂鬱になって、そこを出ると、うしろから来たアメリカ人が「ビ・・・ 寺田寅彦 「チューインガム」
・・・しかしまた昔はずいぶん人の栄華を見て奮発心を起して勉強した人も沢山あって、そういう事の方が多く讃美され奨励されていたようでもある。 南向いている豚の尻を鞭でたたけば南へ駆け出し、北向いている野猪をひっぱたけば北へ向いて突進する。同じ鋳掛・・・ 寺田寅彦 「電車と風呂」
・・・京橋ぎわの読売新聞社で第一回のヒューザン会展覧会が開かれたとき、自分が一つかなり気に入った絵があって、それを奮発して買おうかと思うという話をしたら、「よし、おれが見てやる」と言って同行され、「なるほど。これはいいから買いたまえ」といわれたこ・・・ 寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」
・・・婦人連れの事なれば奮発してようよう上等に乗ればこれもやはりギシつみにて呼吸も出来ざるをようようにして上野へ着けば雨も小止みとなりける。こゝに一行と別れて山内に入る。 人ようよう散じて後れ帰るもの疎なり。向うより勢いよく馳せ来る馬車の上に・・・ 寺田寅彦 「半日ある記」
・・・ 衛生を重ずるため、出来る限りかかる不潔を避けようためには県知事様でもお泊りになるべきその土地最上等の旅館へ上って大に茶代を奮発せねばならぬ。単に茶代の奮発だけで済む事なら大した苦痛ではないが、一度び奮発すると、そのお礼としてはいざ汽車・・・ 永井荷風 「夏の町」
・・・あるひは幾分奨励の意を寓して、晩年更に奮発一番すべしとの心であるやも知れない。わたくしは昭和改元の際年は知命に達していた。二君の好意を空しくせまいと思っても悲しい哉時は早や過去ったようである。強烈な電燈の光に照出される昭和の世相は老眼鏡のく・・・ 永井荷風 「正宗谷崎両氏の批評に答う」
・・・この寒いのに膝掛を拾われては東京を出るとき二十二円五十銭を奮発した甲斐がない。 子規と来たときはかように寒くはなかった。子規はセル、余はフランネルの制服を着て得意に人通りの多い所を歩行いた事を記憶している。その時子規はどこからか夏蜜柑を・・・ 夏目漱石 「京に着ける夕」
・・・しかし今度こそはと思いながら、無精な私はいつも奮発できなかった。その中、同君の逝去せられたのを聞いて残念に堪えない。新聞によれば、何千人かの会葬者があったらしい。同君は何処かにえらい所があったのだと思う。 右のような訳で、高校時代には、・・・ 西田幾多郎 「明治二十四、五年頃の東京文科大学選科」
出典:青空文庫