・・・また、べつの親戚の娘は、女学校の入学試験に落第したのは、親戚に私のような悪評嘖々たる人間がいるからであると言って、私に責任を問うて来た。ある大家が私の作品を人間冒涜の文学であり、いやらしいと言ったという噂が伝わった時、私は宿屋に泊っても変名・・・ 織田作之助 「可能性の文学」
・・・私にはたんにそれが女学校などで遊戯として習得した以上に、何か特別に習練を積んだものではないかと思われたほどに、それほどみごとなものであった。Tもさすがに呆気に取られたさまで、ぼんやり見やっていたが、敗けん気を出して浪子夫人のあとから鎖につか・・・ 葛西善蔵 「遊動円木」
・・・お祖母さんは勝子の名前を、その当時もう女学校へ上っていたはずの信子の名と、よく呼び違えた。信子はその当時母などとこちらにいた。まだ信子を知らなかった峻には、お祖母さんが呼び違えるたびごとに、信子という名を持った十四五の娘が頭に親しく想像され・・・ 梶井基次郎 「城のある町にて」
・・・は及ばず候、これには奇々妙々の理由あることにて、天保十四年生まれの母上の方が明治十二年生まれの妻よりも育児の上においてむしろ開化主義たり急進党なることこそその原因に候なれ、妻はご存じの田舎者にて当今の女学校に入学せしことなければ、育児学など・・・ 国木田独歩 「初孫」
・・・然し事実全くそうで、黒田という地主の娘玉子嬢、容貌は梅子と比べると余程落ちるが、県の女学校を卒業してちょうど帰郷ったばかりのところを、友人某の奔走で遂に大津と結婚することに決定たのである。妙なものでこう決定ると、サアこれからは長谷川と高山の・・・ 国木田独歩 「富岡先生」
・・・ 私の知ってるある文筆夫人に、女学校へも行かなかった人だが、事情あって娘のとき郷里を脱け出て上京し、職業婦人になって、ある新聞記者と結婚し、子どもを育て、夫を助けて、かなり高い社会的地位まで上らせ、自分も独学して、有名な文筆夫人になって・・・ 倉田百三 「愛の問題(夫婦愛)」
・・・そろそろ女の洋服がはやって来て、女学校通いの娘たちが靴だ帽子だと新規な風俗をめずらしがるころには、末子も紺地の上着に襟のところだけ紫の刺繍のしてある質素な服をつくった。その短い上着のまま、早い桃の実の色した素足を脛のあたりまであらわしながら・・・ 島崎藤村 「嵐」
・・・その後、先生が高輪の教会の牧師をして、かたわらある女学校へ教えに行った時分、誰か桜井の家名を継がせるものをと思って――その頃は先生も頼りにする子が無かったから――養子の話まで仄めかして見たのも高瀬だった。その高瀬が今度は塾の教員として、先生・・・ 島崎藤村 「岩石の間」
・・・プロフェッサアという小説は、さる田舎の女学校の出来事を叙したものであって、放課後、余人ひとりいないガランとした校舎、たそがれ、薄暗い音楽教室で、男の教師と、それから主人公のかなしく美しい女のひとと、ふたりきりひそひそ世の中の話を語っているの・・・ 太宰治 「音に就いて」
・・・もともと、この家族は、北多摩郡に本籍を有していたのであったが、亡父が中学校や女学校の校長として、あちこち転任になり、家族も共について歩いて、亡父が仙台の某中学校の校長になって三年目に病歿したので、津島は老母の里心を察し、亡父の遺産のほとんど・・・ 太宰治 「家庭の幸福」
出典:青空文庫