父かたの祖母も母かたの祖母も八十を越えるまで存命だったので、どちらも私の思い出のなかにくっきりとした声や姿や心持ちを刻みのこしているが、祖父となると両方とも大変早く没している。 父かたの祖父は私が生れた時分、もう半身の・・・ 宮本百合子 「繻珍のズボン」
・・・ 目白の女子大学には、まだ成瀬校長が存命であって、私が英文予科の一年に入ったときは、ゴチックまがいの講堂で一人一人前へ出て画帳のようなものへ毛筆で何か文句を書かされたりした。私は大変本気な顔つきで、求めよ、さらば与へられん、という字を書・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・ 母の存命中、二人は率直な性質から誰の目にもわかるような口争いをよくしたが、亡くなった後は、常に尊敬をもって母のことは語っていた。林町の家で何か持って歩きながら、思い出したように、「可愛い細君だった」と云っていたことがあった。父・・・ 宮本百合子 「わが父」
・・・隠居三斎宗立もまだ存命で、七十九歳になっている。この中には嫡子光貞のように江戸にいたり、また京都、そのほか遠国にいる人だちもあるが、それがのちに知らせを受けて歎いたのと違って、熊本の館にいた限りの人だちの歎きは、わけて痛切なものであった。江・・・ 森鴎外 「阿部一族」
・・・思うに、父兄ことごとく出格の御引立を蒙りしは言うも更なり、某一身に取りては、長崎において相役横田清兵衛を討ち果たし候時、松向寺殿一命を御救助下され、この再造の大恩ある主君御卒去遊ばされ候に、某いかでか存命いたさるべきと決心いたし候。 先・・・ 森鴎外 「興津弥五右衛門の遺書」
・・・ 文政の初年には竜池が家に、父母伊兵衛夫婦が存命していて、そこへ子婦某氏が来ていた。竜池は金兵衛以下数人の手代を諸家へ用聞に遣り、三日式日には自身も邸々を挨拶に廻った。加賀家は肥前守斉広卿の代が斉泰卿の代に改まる直前である。上杉家は弾正・・・ 森鴎外 「細木香以」
出典:青空文庫