・・・ 女学校がすんで、目白の日本女子大の英文科の予科に一学期ほどいて、やめた後だったと思う。千葉先生と河崎なつ先生とが、桑田芳蔵博士の教室で心理学の勉強をされたとき私を仲間に加えて下すったことがあった。ヴントの本で、一寸した実験もやったりし・・・ 宮本百合子 「時代と人々」
・・・ われわれの小学校は大体背丈の順で並んだが、ソヴェト同盟の小学校では、一つ机を二人でつかう時には、学期のはじめ教師が自由に一緒に坐る対手をきめさせる。「ミーシャ、また一緒に坐ろうね」「ウン」 だが、教師オリガは、先学期もミー・・・ 宮本百合子 「砂遊場からの同志」
・・・この学校に一学期しかいなかった心持にこんなことも作用したと思う。 髪のことで切ない思いをしたのは私ばかりでなく、女学校のとき、もう二人の不運な道づれがあった。私のはともかく自分の好きを立ててのことであったが、あとの二人は生れつきが如何に・・・ 宮本百合子 「青春」
・・・上の学校への入学試験準備はその頃からもうひどくて、六年生は二学期から、放課後もいのこった。村上さんはどこをうけるの? ときくと、受け口の口元をしずかにほころばして、どこをうけるのか知らないわ、と云うのであった。私はおけいちゃんを自分のいる学・・・ 宮本百合子 「なつかしい仲間」
・・・女子大は一学期でやめていた。一九一七年「日は輝けり」「三郎爺」「地は饒なり」「一つの芽生」単行本『貧しき人々の群』が玄文社から出版された。一九一八年単行本『一つの芽生』が新進作家叢書の一部とし・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・その上学童の知能は低下したからと、文部省はこの新学期に、四学年用のものをのぞいて数学の教科書『さんすう』の内容を一学年ずつくり下げたものにして与えた。それも一般にはしらさずこっそりやって、父兄をおどろかし、子供たちをがっかりさせている。学童・・・ 宮本百合子 「平和をわれらに」
・・・そうとまでは知らず、こういうありがたい文相をこしらえるような投票をした幾人かのお母さんは、今日このごろの新学期をひかえて、人にいえない苦労をかさねているかも知れません。こういうひとつひとつのことのうちに、私たち婦人がはっきりと態度をきめてた・・・ 宮本百合子 「求め得られる幸福」
・・・だが、翌年の秋には、東京中学の五年の二学期の補欠試験に合格している。六高に入った時、「父はじめて喜ぶ」と特記されているのであるが、秋に「父が死去したので、入学を取消し、家事の後始末をするため、荷物を背負って商いをやる。」一九〇八年。「家事整・・・ 宮本百合子 「山本有三氏の境地」
・・・ずっと飛び離れて、神学科の寺院史や教義史がある。学期ごとにこんな風で、専門の学問に手を出した事のない子爵には、どんな物だか見当の附かぬ学科さえあるが、とにかく随分雑駁な学問のしようをしているらしいと云う事だけは判断が出来た。しかし子爵はそれ・・・ 森鴎外 「かのように」
・・・この学期から初めて講師になって哲学の講義を受け持ったのは紀平氏であった。わたくしたちは新入生としてこれを聞いた。事によると紀平氏の講義の代わりに西田先生の講義が聞けたかも知れないというような事情が当時あったということは、この日記を読むまでわ・・・ 和辻哲郎 「初めて西田幾多郎の名を聞いたころ」
出典:青空文庫