・・・ もし浅薄に、旧いしきたりに準じて作家と読者というものを形式上対置して、今の読者はものを知らないという風な観かたに止れば宇野浩二のような博識も、畢竟明治大正文学の物識り博士たるに止ってしまう。 先頃『文芸』にのった作家と作家の文芸対・・・ 宮本百合子 「今日の作家と読者」
・・・は書き改められる、材料が惜しいと宇野氏が評しているが、書き改めるということの核心は、作者が現実と自分との角度をしゃんと明瞭にして姿勢を立て直し、改めてかかる、ということと同義なのである。 この作品評で、宇野氏が生態の描写ということをよく・・・ 宮本百合子 「今日の文学の諸相」
・・・ぬきで語れないし、宇野浩二の新しい文学の世代としての第一歩の飛躍は「蔵の中」ぬきに云うことが出来ない。従って、その体に作品をからみつけて、或は腹の中に蠢く作品の世界にうながされて体を動かさざるを得なかったこれまでの作家の動きは、作品と作家の・・・ 宮本百合子 「昭和十五年度の文学様相」
・・・ 今からほぼ十年ほど前に、慶応の国文科をで、葛西善蔵、宇野浩二らに私淑し、現在では秋田県の女学校教師であるこの作家の特徴は、非常に色彩のつよい、芝居絵のような太い線で、ある意味での誇張とげてものの味をふりまきながら、身振り大きく泣き笑い・・・ 宮本百合子 「一九三四年度におけるブルジョア文学の動向」
・・・一方にはまた、戦争中べつにいきり立ちもしなかったけれども、社会生活と個人の身の上におこる起伏を歴史的現実としてはっきり把握せず、ただ自然主義風に、世の移り変りとして見ている態度の作家と作品があります。宇野浩二の「浮沈」などを代表として。・・・ 宮本百合子 「一九四六年の文壇」
宇野さんには、まだお会いしたこともない。未知の読者の一人というに過ぎない。けれども、従来、小説を書いていた女のひと達とは、テムペラメントも違い、これまでなかった色彩を耀かそうと努められるらしい種々の作品に深い興味を感じてい・・・ 宮本百合子 「読者の感想」
・・・平凡社から『宇野千代集』と合冊で『中條百合子集』が出版された。一九三一年「三月八日は女の日だ」「スモーリヌイに翻る赤旗」「ソヴェト五ヵ年計画と芸術」その他ソヴェトに関する印象、紹介などを書く。又三月には田村俊子、野上・・・ 宮本百合子 「年譜」
・・・同座していられた宇野千代さんが、それに賛成され、本当にそうしたら亭主のことでも悪く書けていい、という意味のことを云われ、私はその時大変困った。辛うじて、自分をも見る目の意味であるというような短かい言葉を註した。場所がら、非人情という私の意味・・・ 宮本百合子 「パァル・バックの作風その他」
・・・しかし、同じ座談会でシュワイツァの死に方についての批評が話題になった時、宇野重吉氏はそれに対し、ああいうことは前から言われていた、あれ分ってるよ、いろいろ新手を考えているうちにお終いになったと感想を述べています。演技の独自性の評価が強く求め・・・ 宮本百合子 「一つの感想」
・・・ 宇野千代氏が、作家尾崎士郎氏との生活をやめた心持も他のことをぬいて、その面からだけ見て、理解しがたいものとは映らなかった。 私はそれ等のことを主として、作家としての完成というものも個人的な立場だけに立っているうちはその可能にどんな・・・ 宮本百合子 「夫婦が作家である場合」
出典:青空文庫