・・・我々は何をそういう人々から聞き得るであろうか。安価なる告白とか、空想上の懐疑とかいう批評のある所以である。 田中喜一氏は、そういう現代人の性急なる心を見て、極めて恐るべき笑い方をした。曰く、「あらゆる行為の根底であり、あらゆる思索の方針・・・ 石川啄木 「性急な思想」
・・・今度、同銀行蔵掃除について払下げに相成ったを、当商会において一手販売をする、抵当流れの安価な煙草じゃ、喫んで芳ゅう、香味、口中に遍うしてしかしてそのいささかも脂が無い。私は痰持じゃが、」 と空咳を三ツばかり、小さくして、竹の鞭を袖へ引込・・・ 泉鏡花 「露肆」
・・・ただし安価くない。何の椀、どの鉢に使っても、おん羮、おん小蓋の見識で。ぽっちり三臠、五臠よりは附けないのに、葱と一所に打ち覆けて、鍋からもりこぼれるような湯気を、天井へ立てたは嬉しい。 あまっさえ熱燗で、熊の皮に胡坐で居た。 芸妓の・・・ 泉鏡花 「眉かくしの霊」
・・・何、こそこそと、鼠あるきに、行燈形の小な切籠燈の、就中、安価なのを一枚細腕で引いて、梯子段の片暗がりを忍ぶように、この磴を隅の方から上って来た。胸も、息も、どきどきしながら。 ゆかただか、羅だか、女郎花、桔梗、萩、それとも薄か、淡彩色の・・・ 泉鏡花 「縷紅新草」
・・・以前の緑雨なら艶聞の伝わる人を冷笑して、あの先生もとうとう恋の奴となりました、などと澄ました顔をしたもんだが、その頃の緑雨は安価な艶聞を得意らしく自分から臭わす事さえあった。 小田原へ引越してから一度上京したついでに尋ねてくれた。生憎留・・・ 内田魯庵 「斎藤緑雨」
・・・凡そその程度のものであるから、もとより享楽すべきものであって、これによって、旧文化の根底を改めて新文化をば建設しようなどゝ考えるのは、あまりに安価な考え方であると思われます。 独りドストイフスキイの作品ばかりでなく他の有名なる名作は、事・・・ 小川未明 「芸術は生動す」
・・・僕はその時初めて恋の楽しさと哀しさとを知りました、二月ばかりというものは全で夢のように過ぎましたが、その中の出来事の一二お安価ない幕を談すと先ずこんなこともありましたっケ、「或日午後五時頃から友人夫婦の洋行する送別会に出席しましたが僕の・・・ 国木田独歩 「牛肉と馬鈴薯」
・・・「いやその安価のが私ゃ気に喰わんのだが、先ず御互の議論が通ってあの予算で行くのだから、そう安ぽい直ぐ欄の倒れるような険呑なものは出来上らんと思うがね」と言って気を更え、「其処で寄附金じゃが未だ大な口が二三残ってはいないかね?」「未だ・・・ 国木田独歩 「酒中日記」
・・・貧を衒う。安価なヒロイズムだ。さっさと靴をはいて、僕と一緒に来たまえ。」「靴なんて、ありやしない。売っちゃったんだよ。」立ちつくし、私の顔を見上げて笑っている。 私は、異様な恐怖に襲われた。この目前の少年を、まるっきりの狂人ではない・・・ 太宰治 「乞食学生」
・・・こんな憂鬱と戦い、そうして死んで行くということに成るんだな、と思えばおのが身がいじらしくもあった。青い稲田が一時にぽっと霞んだ。泣いたのだ。彼は狼狽えだした。こんな安価な殉情的な事柄に涕を流したのが少し恥かしかったのだ。 電車から降りる・・・ 太宰治 「葉」
出典:青空文庫