・・・自分の目にはこの二人のばあさんがもっとも理解しやすい「定型」として現われる。この二人の憎まれ役は、おそらく見ようによってはもっとも善良なる旧時代の残存者である。これに反してもっともわかりにくい存在はこの若く美しい生徒に慕われる女教師である。・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」
・・・どうもこういうのが近ごろのアメリカ映画の一つの定型であるらしい。たとえば「白衣の騎士」などもやはり同じ定型に属するものと見ることができはしないかと思う。この型の映画は見たあとで物語の筋などは霧のように消えてしまうが、ただ筋とはたいした関係も・・・ 寺田寅彦 「映画雑感(4[#「4」はローマ数字、1-13-24])」
・・・ これらの邦劇映画を見て気のつくことは、第一に芝居の定型にとらわれ過ぎていることである、書き割りを背にして檜舞台を踏んでフートライトを前にして行なって始めて調和すべき演技を不了簡にもそのままに白日のもと大地の上に持ち出すからである。それ・・・ 寺田寅彦 「映画時代」
・・・その中に現われる人物が実際にあったとか、なかったとかいう事はほとんど問題にも何もならないことであって、それらの仮想人物によって代表された人間の定型と、叙述された事件の定型はたしかに存在したのである。これはあらゆる「史実」よりもはるかに確実で・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・ この二つの実例から見ても新聞記事にはちゃんとした定型が確立されていて、いかなる場合にでもそれを破ることが禁ぜられているらしく思われるのである。自分らのようなつむじ曲がりの読者にとっては、むしろ来るはずの大臣がその日来なかったという偶然・・・ 寺田寅彦 「ジャーナリズム雑感」
・・・ この甲乙丙三種の定型はそれぞれに長所と短所をもっている。甲はうっかりにせ物に引っかかるような心配はほとんどない代わりに、どうかするとほんとうに価値のある新しいいいものを見のがす恐れがある。既知の真実を固守するにのみ忠実で未知の真実の可・・・ 寺田寅彦 「自由画稿」
・・・今のところでは既にいくらかの定型が出来ているようでありますが、しかしもっとちがった型式がまだまだいろいろあってもよいような気がするのであります。 一人の作者の一聯の連作と並んで別の題でまた同じ人の数首の歌の出ているのは、私のような眼で読・・・ 寺田寅彦 「書簡(2[#「2」はローマ数字2、1-13-22])」
・・・我等の同胞の顔貌の中にはまたあらゆる人種の定型がそれぞれに標本的に洩れなく代表されているようである。 日本人が真に日本の土の中から生れ、日本の言語が全く独立に発生したと考えるのは、孑ぼうふらが水から発生すると考えるよりも一層非科学的であ・・・ 寺田寅彦 「短歌の詩形」
・・・朝起きて顔を洗う金盥の置き方から、夜寝る時の寝衣の袖の通し方まで、無意識な定型を繰返している吾人の眼は、如何に或る意味で憐れな融通のきかきぬものであるかという事を知るための、一つの面白い、しかも極めて簡単な実験は、頭を倒にして股間から見馴れ・・・ 寺田寅彦 「津田青楓君の画と南画の芸術的価値」
・・・ 映画の場合においてもカメラを向け動かすものは人間であるから、そこに選択の自由があり従って人為的な公式定型の参加する余地は充分にある。しかしレンズとフィルムは物質であってなんらの既成概念もなければ抽象能力もない、一見ばか正直のようであっ・・・ 寺田寅彦 「ニュース映画と新聞記事」
出典:青空文庫