・・・ただ、周囲には多くの硝子戸棚が、曇天の冷い光の中に、古色を帯びた銅版画や浮世絵を寂然と懸け並べていた。本多子爵は杖の銀の握りに頤をのせて、しばらくはじっとこの子爵自身の「記憶」のような陳列室を見渡していたが、やがて眼を私の方に転じると、沈ん・・・ 芥川竜之介 「開化の良人」
・・・けれども今、冷やかな山懐の気が肌寒く迫ってくる社の片かげに寂然とすわっている老年の巫女を見ては、そぞろにかなしさを覚えずにはいられない。 私は、一生を神にささげた巫女の生涯のさびしさが、なんとなく私の心をひきつけるような気がした。・・・ 芥川竜之介 「日光小品」
・・・ 私は立った儘大運搬船の上を見廻して見た。 寂然して溢れる計り坐ったり立ったりして居るのが皆んなかんかん虫の手合いである。其の間に白帽白衣の警官が立ち交って、戒め顔に佩劔を撫で廻して居る。舳に眼をやるとイフヒムが居た。とぐろを巻いた・・・ 有島武郎 「かんかん虫」
・・・ 余りの思いがけなさに、渠は寂然たる春昼をただ一人、花に吸われて消えそうに立った。 その日は、何事もなかった――もとの墓地を抜けて帰った――ものに憑かれたようになって、夜はおなじ景色を夢に視た。夢には、桜は、しかし桃の梢に、妙見宮の・・・ 泉鏡花 「瓜の涙」
・・・ 室内は寂然した。彼の言は、明晰に、口吃しつつも流暢沈着であった。この独白に対して、汽車の轟は、一種のオオケストラを聞くがごときものであった。 停車場に着くと、湧返ったその混雑さ。 羽織、袴、白襟、紋着、迎いの人数がずらりと並ぶ・・・ 泉鏡花 「革鞄の怪」
・・・さすが高位の御身とて、威厳あたりを払うにぞ、満堂斉しく声を呑み、高き咳をも漏らさずして、寂然たりしその瞬間、先刻よりちとの身動きだもせで、死灰のごとく、見えたる高峰、軽く見を起こして椅子を離れ、「看護婦、メスを」「ええ」と看護婦の一・・・ 泉鏡花 「外科室」
・・・「……宿に、桔梗屋とした……瞬きする。「で、朱塗の行燈の台へ、蝋燭を一挺、燃えさしのに火を点して立てたのでございます。」 と熟と瞻る、とここの蝋燭が真直に、細りと灯が据った。「寂然としておりますので、尋常のじゃない、と何とな・・・ 泉鏡花 「菎蒻本」
・・・ 俥は寂然とした夏草塚の傍に、小さく見えて待っていた。まだ葉ばかりの菖蒲杜若が隈々に自然と伸びて、荒れたこの広い境内は、宛然沼の乾いたのに似ていた。 別に門らしいものもない。 此処から中尊寺へ行く道は、参詣の順をよくするために、・・・ 泉鏡花 「七宝の柱」
・・・その静さは小県ただ一人の時よりも寂然とした。 なぜか息苦しい。 赤い客は咳一つしないのである。 小県は窓を開放って、立続けて巻莨を吹かした。 しかし、硝子を飛び、風に捲いて、うしろざまに、緑林に靡く煙は、我が単衣の紺のかすり・・・ 泉鏡花 「燈明之巻」
・・・ 甘谷が呆れて呟く、……と寂然となる。 寂寞となると、笑ばかりが、「ちゃはははは、う、はは、うふ、へへ、ははは、えへへへへ、えッへ、へへ、あははは、うは、うは、うはは。どッこい、ええ、チ、ちゃはは、エ、はははは、ははははは、うッ・・・ 泉鏡花 「売色鴨南蛮」
出典:青空文庫