・・・……浅瀬もこの時は、淵のように寂然とする。また一つ流れて来ます。今度は前の椿が、ちょっと傾いて招くように見えて、それが寄るのを、いま居た藻の上に留めて、先のは漾って、別れて行く。 また一輪浮いて来ます。――何だか、天の川を誘い合って、天・・・ 泉鏡花 「半島一奇抄」
・・・……広い廊下は、霜のように冷うして、虚空蔵の森をうけて寂然としていた。 風すかしに細く開いた琴柱窓の一つから、森を離れて、松の樹の姿のいい、赤土山の峰が見えて、色が秋の日に白いのに、向越の山の根に、きらきらと一面の姿見の光るのは、遠い湖・・・ 泉鏡花 「夫人利生記」
・・・が、陸軍病院の慰安のための見物がえりの、四五十人の一行が、白い装でよぎったが、霜の使者が通るようで、宵過ぎのうそ寒さの再び春に返ったのも、更に寂然としたのであった。 月夜鴉が低く飛んで、水を潜るように、柳から柳へ流れた。「うざくらし・・・ 泉鏡花 「みさごの鮨」
・・・後の十畳敷は寂然と致し、二筋の燈心は二人の姿と、床の間の花と神農様の像を、朦朧と照しまする。 九 小宮山は所在無さ、やがて横になって衾を肩に掛けましたが、お雪を見れば小さやかにふっかりと臥して、女雛を綿に包んだよ・・・ 泉鏡花 「湯女の魂」
・・・ 内は寂然とした。 芸者の姿は枝折戸を伸上った。池を取廻わした廊下には、欄干越に、燈籠の数ほど、ずらりと並ぶ、女中の半身。 蝶は三ツになった。影を沈めて六ツの花、巴に乱れ、卍と飛交う。 時にそよがした扇子を留めて、池を背後に・・・ 泉鏡花 「妖術」
・・・世間一体も寂然と眠に入った。予は何分寝ようという気にならない。空腹なる人の未だ食事をとり得ない時の如く、痛く物足らぬ心の弱りに落ちつくことが出来ぬのである。 元気のない哀れな車夫が思い出される。此家の門を潜り入った時の寂しさが思い出され・・・ 伊藤左千夫 「浜菊」
・・・夕照りうららかな四囲の若葉をその水面に写し、湖心寂然として人世以外に別天地の意味を湛えている。 この小湖には俗な名がついている、俗な名を言えば清地を汚すの感がある。湖水を挟んで相対している二つの古刹は、東岡なるを済福寺とかいう。神々しい・・・ 伊藤左千夫 「春の潮」
・・・昼も、夜も、あたりは火の消えたように寂然として静かでありました。犬もだいぶ年をとっていました。おとなしい、聞き分けのある犬で、和尚さまのいうことはなんでもわかりました。ただ、ものがいえないばかりでありました。 赤犬は、毎日、御堂の上がり・・・ 小川未明 「犬と人と花」
・・・また音ひとつ聞こえてこない寂然とした町であります。また建物といっては、いずれも古びていて、壊れたところも修繕するではなく、烟ひとつ上がっているのが見えません。それは工場などがひとつもないからでありました。 町はだらだらとして、平地の上に・・・ 小川未明 「眠い町」
・・・ 先刻から覚めてはいるけれど、尚お眼を瞑ったままで臥ているのは、閉じたまぶたごしにも日光が見透されて、開けば必ず眼を射られるを厭うからであるが、しかし考えてみれば、斯う寂然としていた方が勝であろう。昨日……たしか昨日と思うが、傷を負・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
出典:青空文庫