・・・雪いよいよ深く、路ますます危うく、寒気堪え難くなりてついに倒れぬ。その時、また一人の旅人来たりあわし、このさまを見て驚き、たすけ起こして薬などあたえしかば、先の旅客、この恩いずれの時かむくゆべき、身を終わるまで忘れじといいて情け深き人の手を・・・ 国木田独歩 「詩想」
・・・ 九 滅度 身延山の寒気は、佐渡の荒涼の生活で損われていた彼の健康をさらに傷つけた。特に執拗な下痢に悩まされた。「此の法門申し候事すでに二十九年なり。日々の論議、月々の難、両度の流罪に身疲れ、心いたみ候ひし故にや・・・ 倉田百三 「学生と先哲」
・・・ 今は、五カ年計劃の実行に忙がしかった。能率増進に、職場と職場が競争した。贅沢品や、化粧品をこしらえているひまはなかった。そんなものをかえりみているどころではなかった。 寒気が裂けるように、みしみし軋る音がした。 ペーチカへ、白・・・ 黒島伝治 「国境」
・・・靴は重く、寒気は腹の芯にまでしみ通って来た。…… 黒島伝治 「橇」
一 十一月に入ると、北満は、大地が凍結を始める。 占領した支那家屋が臨時の営舎だった。毛皮の防寒胴着をきてもまだ、刺すような寒気が肌を襲う。 一等兵、和田の属する中隊は、二週間前、四平街を出発し・・・ 黒島伝治 「チチハルまで」
・・・公園のみは寒気強きところなれば樹木の勢いもよからで、山水の眺めはありながら何となく飽かぬ心地すれど、一切の便利は備わりありて商家の繁盛云うばかり無し。客窓の徒然を慰むるよすがにもと眼にあたりしままジグビー、グランドを、文魁堂とやら云える舗に・・・ 幸田露伴 「突貫紀行」
・・・九月、十月、十一月、御坂の寒気堪えがたくなった。あのころは、心細い夜がつづいた。どうしようかと、さんざ迷った。自分で勝手に、自分に約束して、いまさら、それを破れず、東京へ飛んで帰りたくても、何かそれは破戒のような気がして、峠のうえで、途方に・・・ 太宰治 「I can speak」
・・・ 自分で言って、自分でそのいやらしい口調に寒気を覚えた。これは、いかん。少し時刻が早いけど、もう酔いつぶれた振りをして寝てしまおう。「ああ、酔った。すきっぱらに飲んだので、ひどく酔った。ちょっとここへ寝かせてもらおうか。」「だめ・・・ 太宰治 「グッド・バイ」
・・・湯に入り過ぎたためにからだが変になって、湯から出ると寒気がするので、湯に入っては蒲団に潜ってレーリーを読み、また湯に入っては蒲団を冠ってレーリーを読んだ。風邪を引いた代りにレーリーがずいぶん骨身にしみて後日の役に立った。 楽しみに学問を・・・ 寺田寅彦 「科学に志す人へ」
・・・少し酒を過ごしての帰り途で寒気がしたが、あの時はもう既に病に罹っていたのだ。帰って寝たら熱が出てそれきり起きられぬ。医者は流行性でたいした事はないと云っていたが、今日来た時は妙に丁寧に胸を叩いたり聞いたりして首をひねってとうとうあんなことを・・・ 寺田寅彦 「枯菊の影」
出典:青空文庫