・・・すると御主人は昔のように、優しい微笑を御見せになりながら、「しかし居心は悪くない住居じゃ。寝所もお前には不自由はさせぬ。では一しょに来て見るが好い。」と、気軽に案内をして下さいました。 しばらくの後わたしたちは、浪ばかり騒がしい海べ・・・ 芥川竜之介 「俊寛」
・・・われらが寝所には、久遠本地の諸法、無作法身の諸仏等、悉く影顕し給うぞよ。されば、道命が住所は霊鷲宝土じゃ。その方づれ如き、小乗臭糞の持戒者が、妄に足を容るべきの仏国でない。」 こう云って阿闍梨は容をあらためると、水晶の念珠を振って、苦々・・・ 芥川竜之介 「道祖問答」
・・・僕は台所へは顔も出さず、直ぐと母の寝所へきた。行燈の灯も薄暗く、母はひったり枕に就いて臥せって居る。「お母さん、どうかしましたか」「あア政夫、よく早く帰ってくれた。今私も起きるからお前御飯前なら御飯を済ましてしまえ」 僕は何のこ・・・ 伊藤左千夫 「野菊の墓」
・・・ 臥ようとすると、蒼白い月光が隈なく羅を敷たように仮の寝所を照して、五歩ばかり先に何やら黒い大きなものが見える。月の光を浴びて身辺処々燦たる照返を見するのは釦紐か武具の光るのであろう。はてな、此奴死骸かな。それとも負傷者かな? 何方・・・ 著:ガールシンフセヴォロド・ミハイロヴィチ 訳:二葉亭四迷 「四日間」
・・・私いちど、しのび足、かれの寝所に滑り込んで神の冠、そっとこの大頭へ載せてみたことさえございます。神罰なんぞ恐れんや。はっはっは。いっそ、その罰、拝見したいものではある!」予期の喝采、起らなかった。しんとなった。つづいてざわざわの潮ざい、「身・・・ 太宰治 「二十世紀旗手」
・・・同じことなら、若夫婦の寝所にしのびこんでみたい、そうして、君、ああ、いやしい! きたない! 恥ずかしくないか。君は、そのような興味も、あって、僕の家を襲った。たしかに、そうだ。君は、まだ三十一だ。女のさかりだ。卑劣だねえ、君は。ところがお生・・・ 太宰治 「春の盗賊」
・・・しかし平生からそのすわり所や寝所に対してひどく気むずかしいこの猫は、そのような慣れない産室に一刻も落ち着いて寝てはいなかった。そして物につかれたようにそこらじゅうをうろついていた。 午過ぎに二階へ上がっていたら、階段の下から下女が大きな・・・ 寺田寅彦 「子猫」
・・・右に折れると兄の住居、左を突き当れば今宵の客の寝所である。夢の如くなよやかなる女の姿は、地を踏まざるに歩めるか、影よりも静かにランスロットの室の前にとまる。――ランスロットの夢は成らず。 聞くならくアーサー大王のギニヴィアを娶らんとして・・・ 夏目漱石 「薤露行」
・・・そして間もなく雪に全身を包まれて、外の寝所を捜しに往く。深い雪を踏む、静かなさぐり足が、足音は立てない。破れた靴の綻びからは、雪が染み込む。 著:ブウテフレデリック 訳:森鴎外 「橋の下」
・・・ 私共は、彼の為にみかん箱の寝所を拵え、フランネルのくすんだ水色で背被いも作ってやった。 彼は、今玄関の隅で眠り、時々太い滑稽な鼾を立てて居る。 女中が犬ぎらいなので少し私共は気がねだ。又、子のない夫婦らしい偏愛を示すかと、自ら・・・ 宮本百合子 「犬のはじまり」
出典:青空文庫