・・・帳場の和郎(彼れは所きらわず唾が寝言べこく暇に、俺ら親方と膝つきあわして話して見せるかんな。白痴奴。俺らが事誰れ知るもんで。汝ゃ可愛いぞ。心から可愛いぞ。宜し。宜し。汝ゃこれ嫌いでなかんべさ」といいながら懐から折木に包んだ大福を取出して・・・ 有島武郎 「カインの末裔」
・・・た、十分渠らの文学に従う意味を理解しつつもなお、東洋文芸に対する先入の不満が累をなしてこの同じ見方からして、その晩年にあってはかつて随喜したツルゲーネフをも詩人の空想と軽侮し、トルストイの如きは老人の寝言だと嘲っていた。独り他人を軽侮し冷笑・・・ 内田魯庵 「二葉亭四迷」
・・・が、実をいうと二葉亭は舞台監督が出来ても舞台で踊る柄ではなかった。縦令舞台へ出る役割を振られてもいよいよとなったら二の足を踏むだろうし、踊って見ても板へは附くまい。が、寝言にまでもこの一大事の場合を歌っていたのだから、失敗うまでもこの有史以・・・ 内田魯庵 「二葉亭追録」
・・・この稀な大暑を忘れないため、流しつづけた熱い汗を縁側の前の秋草にでも寄せて、寝言なりと書きつけようと思う心持をもその時に引き出された。ことしのような年もめずらしい。わたしの住む町のあたりでは秋をも待たないで枯れて行った草も多い。坂の降り口に・・・ 島崎藤村 「秋草」
・・・男爵のその白痴めいた寝言を、気にもとめず、「新やんこそ、よくおいで下さいました。あたし、ゆっくりお話申しあげたいのですけれど、いま、とっても、いそがしいので、あ、そうそう、九時にね、新橋駅のまえでお待ち申して居ります。ほんの、ちょっとで・・・ 太宰治 「花燭」
・・・こんなことでは、寝言などで、どんなに下品なこと言い出すか、不安でならない。でも、なんだか可笑しくなって、箒の手を休めて、ひとりで笑う。 きのう縫い上げた新しい下着を着る。胸のところに、小さい白い薔薇の花を刺繍して置いた。上衣を着ちゃうと・・・ 太宰治 「女生徒」
・・・ 昔ある学者は、光の速度よりもはやい速度で地球から駆け出せば宇宙の歴史を逆さまにして見られるというような寝言を言った。しかしこのような超光速度はできない相談であるし、それができたとしてもやはり歴史の逆さまは見られそうもない。しかし映画の・・・ 寺田寅彦 「映画の世界像」
・・・これと反対にまた世俗に有名ないわゆる大家がたまたま気まぐれに書き散らした途方もない寝言のようなものが、存外有名になって、新聞記者はもちろん、相当な学者までもそれがあたかも大傑作であり世界的大論文であるかのごとく信ずるような場合もあるのである・・・ 寺田寅彦 「科学と文学」
・・・すべての仕掛けはこの車の同時調節によって有効になるので、試みにわざとちょっとばかりこの調節を狂わせると、もう受信機の印刷する文句はまるきり訳の分からぬ寝言にもならない活字の行列になってしまうのである。 この二十世紀の巧妙な有線電信機の生・・・ 寺田寅彦 「変った話」
・・・ それがために甲にとってはほとんど自明的と思われることが、乙にとっては全く問題にもならない寝言のように思われることもあるようである。 とにかく、見る眼の相違で同じものの長短遠近がいろいろになったり、二本の棒切れのどちらが定規でどちら・・・ 寺田寅彦 「観点と距離」
出典:青空文庫