・・・ 強て何か話が無いかとお尋ねならば、仕方がありません、わたくしが少時の間――左様です、十六七の頃に通学した事のある漢学や数学の私塾の有様や、其の頃の雑事や、同じ学舎に通った朋友等の状態に就いてのお話でも仕て見ましょう。今でも其の時分の面・・・ 幸田露伴 「学生時代」
・・・ひりりとする朝湯に起きるからすぐの味を占め紳士と言わるる父の名もあるべき者が三筋に宝結びの荒き竪縞の温袍を纏い幅員わずか二万四千七百九十四方里の孤島に生れて論が合わぬの議が合わぬのと江戸の伯母御を京で尋ねたでもあるまいものが、あわぬ詮索に日・・・ 斎藤緑雨 「かくれんぼ」
・・・聞いて見ると越後の方から出て来たもので、都にある親戚をたよりに尋ねて行くという。はるばるの長旅、ここまでは辿り着いたが、途中で煩った為に限りある路銀を費い尽して了った。道は遠し懐中には一文も無し、足は斯の通り脚気で腫れて歩行も自由には出来か・・・ 島崎藤村 「朝飯」
・・・そういう男等が偶然この土地へ来たり、また知り人を尋ねて来たのである。それがみんな清い空気と河の広い見晴しとに、不思議に引寄せられているのである。文明の結果で飾られていても、積み上げた石瓦の間にところどころ枯れた木の枝があるばかりで、冷淡に無・・・ 著:シュミットボンウィルヘルム 訳:森鴎外 「鴉」
・・・やがて二人で大立廻りをやって、女房は髪を乱して向いの船頭の家へ逃げこむやら、とうと面倒なことになったが、とにかく船頭が仲裁して、お前たちも、元を尋ねると踊りの晩に袖を引き合いからの夫妻じゃないか。さあ、仲直りに二人で踊れよおい、と五合ばかり・・・ 鈴木三重吉 「千鳥」
・・・ と男のひとは、破れた座蒲団に悪びれず大あぐらをかいて、肘をその膝の上に立て、こぶしで顎を支え、上半身を乗り出すようにして私に尋ねます。「あの、私でございますか?」「ええ。たしか旦那は三十、でしたね?」「はあ、私は、あの、…・・・ 太宰治 「ヴィヨンの妻」
・・・桑木理学博士がかつて彼をベルンに尋ねた時に、東洋は東洋で別種の文化が発達しているのは面白いといったような事を話したそうである。この点でも彼は一種のレラチヴィストであるとも云われよう。それにしても彼が幼年時代から全盛時代の今日までに、盲目的な・・・ 寺田寅彦 「アインシュタイン」
・・・兄は道太に尋ねたりした。「ええちょっと人を避けているんで」道太は笑いながら答えた。 道太はここにいてほしいような兄の気持は解ったけれど、一つ家に寝起きをしていれば、絶えず接近していなければならないし、人の出入りの多いのに、手数をかけ・・・ 徳田秋声 「挿話」
・・・また今年の春には谷中瑞輪寺に杉本樗園の墓を尋ねた時、門内の桜は既に散っていたが、門外に並んだ数株の老桜は恰も花の盛であったのみならず、わたくしは其幹の太さより推測して是或は江戸時代の遺物ではあるまいかと、暫く佇立んでその梢を瞻望した。是日ま・・・ 永井荷風 「上野」
・・・ハントの家はカーライルの直近傍で、現にカーライルがこの家に引き移った晩尋ねて来たという事がカーライルの記録に書いてある。またハントがカーライルの細君にシェレーの塑像を贈ったという事も知れている。このほかにエリオットのおった家とロセッチの住ん・・・ 夏目漱石 「カーライル博物館」
出典:青空文庫